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−とかくこの世は−トップへ (2007/08/08)

とかくこの世は
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第14回 ウナギの悪巧み

第13回 “リプレイ政治”からの脱却

第12回 曲折の白球譜

第11回 ボツになった死亡記事

第10回 ホフハ試験薬

第9回 団塊定年待望論

第8回 自殺予防薬

第7回 鎮魂譜

第6回 薩摩守はいずこ

第5回 「ハイ」と言えない子供たち


第4回 死のスタイル

第3回 日本史教えぬ「美しい日本」

第2回 ある暴走族との出会い

第1回 賀状有情

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 カモン!ルーシー
庫裡から悶々
ははんほほう話




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 檀林風発
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肇道和尚の「如是我聞」

 暑い夏を、なおさら熱く熱く燃え上がらせるもの。言わずもがな、甲子園でくり広げられる球児たちの球宴、高校野球だ。選手も、応援団も、暑さなんかお構いなしに燃え尽きるまで頑張るしかない。
 新聞記者もそうだった。新聞社で支局勤務を経験すれば、必ず高校野球に県予選の段階から付き合わされる。好き嫌いを言ってはいられない。嫌々取材をしていても、いつの間にか熱気の虜になってしまう。私の支局回り時代も、そうだった。

 しかし、高校野球が今日のように隆盛を極めるまでには、紆余曲折があったことを知る人は少ない。今年で89回を重ねる「夏の甲子園」を主催する、あの朝日新聞社にしても、日本に野球が伝えられた当初は、旧制中学(今の高校)野球に猛反対する論陣を張っていたのだから、驚きである。

 北関東・茨城の古豪、竜ヶ崎中学(今の茨城県立竜ヶ崎一高)の野球部にも、今では思いもよらぬ苦渋をなめさせられた草創期があった。
 全国から甲子園を目指すシステムは今とは違っていたが、竜ヶ崎中学は大正期に地方予選にあたる関東大会で5連覇の偉業をなし遂げている。その頃の話である。

 当時は優勝高の地元が、次年度の大会開催地になるという申し合わせがあった。選手、応援団などの宿泊などで地元への経済効果は計り知れない。当然、野球に賭ける町の期待は大きかった。
 参加30余校の選手と応援団を受け入れるとなると、竜ヶ崎ほどの規模の町だと、町内の旅館では収容しきれない。料理屋、ソバ屋、お寺まで動員、さらに民宿も。大会が近づくと町中は野球でもちきりになった。
 その竜ヶ崎中の近くにパンやまんじゅうを商う小さな店があった。腹を減らした野球部員のたまり場だったから、店の“おかく婆さん”は野球通になった。熱烈なファンともなった。選手たちの泥だらけのユニホームの洗濯はもちろん合宿中の炊事まで買って出た。試合中は学校下の道祖神社に必勝祈願のお百度参りも欠かさない。

 そんな支援に応えて竜ヶ崎中は関東大会5連覇を果たした。
 さて、来年も、というとき、校長が代わった。とたんに「県外試合は教育上好ましからず」。対外試合禁止令だ。
 「これまでは創設時代だったから、スポーツで校名を上げる必要もあったが、これからは天下の模範校になれ」というのだ。さんざん利用した挙げ句が、もう用無し。しかも、野球部は不良の集まりといわぬばかりだから、部員の気持ちは穏やかでない。

 当時の模様を「優勝五ヵ年(竜中野球部関東覇権時代)」は次のように伝えている。
 禁止令の出たその夏、優勝旗返還に開催地、前橋に向かった主将ら一行は、途中、野球部育ての親・前校長の墓参りをした。もう二度と手にすることはないだろう優勝旗を墓前に立て、へたり込んだ一行の両手には真夏の太陽に焼かれた熱い敷き砂が握り締められ、頬を伝って落ちた涙は乾き切った砂に吸い取られていった。
 返還される優勝旗を写した記念写真の裏に、血を吐くような思いの部員たちの文言がつづられた。
 『陰に潜める血と涙を知るや有情の士ら……』。
 
 支局回りをしていた昔、取材した話の一つだ。野球が疎まれた歴史があったとは、意外や意外ではないか。

 その後竜ヶ崎中(竜ヶ崎一高)の野球部は雄々しく復活し、先輩たちの無念さをバネに、輝かしい戦績を重ねている。今大会は地方予選準々決勝で敗退したが、これまでに春に1度、夏に9度も甲子園出場を果たしている。









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