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−とかくこの世は−トップへ (2007/01/19)

とかくこの世は
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第14回 ウナギの悪巧み

第13回 “リプレイ政治”からの脱却

第12回 曲折の白球譜

第11回 ボツになった死亡記事

第10回 ホフハ試験薬

第9回 団塊定年待望論

第8回 自殺予防薬

第7回 鎮魂譜

第6回 薩摩守はいずこ

第5回 「ハイ」と言えない子供たち


第4回 死のスタイル

第3回 日本史教えぬ「美しい日本」

第2回 ある暴走族との出会い

第1回 賀状有情

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庫裡から悶々
ははんほほう話


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 檀林風発




肇道和尚の「如是我聞」

 黒装束の男女二十人の集団が「死のう、死のう」と叫びながら逗子の街をデモっていた。昭和八年七月某日の昼下がりのことだった。

 逮捕された一味は短刀を所持し、国会議事堂前で割腹する気だったというのだが、刀の元には布が巻かれていたから刃先はわずか2〜3a。自刃しても深傷にはならない仕掛けだった。

 昭和初期、京浜間を中心に約五百人の同志をもち、増上寺焼き打ちや救世軍の山室軍平暗殺などを企てた軍団主義的カルト教団「死のう団」とは彼らのことである。

 子供のころ、大人の話す、「死のう団」に興味を抱きながらも、その実態を知らなかったから、死を美化した宗教団体くらいにしか考えていなかった。

 最近、その組織の実態を知ったのを機に、改めて「死のスタイル」を考えるようになった。

 “管理された命”(戦時)の時代もあれば、近ごろのように“危険に晒されっぱなしの命”もある。自分のものであるはずの命が、実はこの世にさ迷う借り物ではないかと思えてならない。

 自殺、謀殺、いじめ殺し、さまざまな形の生命への虐待が子供たちの教室の中にまで及んでいる現状を凝視した時「美しい日本」などとのたまう首相の現状認識の空しさを痛感する。

 確かにその死が美しい(とされた)人もいた。そんな時代もあった。山田風太郎著『人間臨終図鑑』によれば

 十七歳の美少年藤村操は、人生の意味を求めて死を選んだ。彼が日光華厳の滝の落口の大樹の幹を削って書を残した『厳頭の感』は感動の辞として今に伝えられている。

 「悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以ってこの大をはからんとす。万有の真相は唯一言にして尽くす。曰く『不可解』。厳頭に立つに及んで胸中何らの不安あること無し。はじめて知る。大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを」。

 同じ十七歳の山口二矢は演説中の社会党委員長浅沼稲次郎を刺殺したことで有名だが、獄中で縊死した。その遺書は「七生報国 天皇陛下万歳」。

 昭和四十五年十一月、四人の同志を引き連れ、日本刀をもって、東京市ヶ谷の陸上自衛隊東京方面総監室を訪れた作家・三島由紀夫は「自衛隊は魂が腐っている。武士の魂は何処へいった。自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるのか。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。今、われわれは生命尊重以上の価値の所在を、諸君の目の前で見せてやる。天皇陛下万歳」
 と言い残して短刀を脇腹に突き刺し、同志の介錯で死んだ。

 靖国のA級戦犯・東条英機は二十三年十二月、巣鴨拘置所で処刑された。最後の言葉は「天皇陛下万歳」の三唱。

 獄中では「国民から八つ裂きにされてしかるべきところ。自分は永遠に歴史の上で罵りの鞭を受けるだろう」と語っていたそうだ。

 これらは戦時下に生きた人々の死の美学であった。ちなみに筆者は、昭和二十年初頭、東条邸を訪ね、国旗に「一誠当国難」と揮毫して貰った。その日の丸を襷にかけて入営したのは二十歳の春だった。





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