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−とかくこの世は−トップへ (2007/01/01)

とかくこの世は
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第14回 ウナギの悪巧み

第13回 “リプレイ政治”からの脱却

第12回 曲折の白球譜

第11回 ボツになった死亡記事

第10回 ホフハ試験薬

第9回 団塊定年待望論

第8回 自殺予防薬

第7回 鎮魂譜

第6回 薩摩守はいずこ

第5回 「ハイ」と言えない子供たち


第4回 死のスタイル

第3回 日本史教えぬ「美しい日本」

第2回 ある暴走族との出会い

第1回 賀状有情

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 カモン!ルーシー
庫裡から悶々
ははんほほう話


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 檀林風発




肇道和尚の「如是我聞」

 年賀状は私の“交友史”“活動史”の証人である。日頃はまったく音信不通だが、賀状だけはきちんと来る。印刷文字は味気なく「ご無沙汰」「今年もよろしく」の決まり文句も素っ気ないが、それでいてその人との出会いが思い出され、往年のあれこれが蘇る。肉声まで聞こえてくるから不思議だ。
 毎年、律儀に近況を伝えてくる人の年賀状が、ある年、突然途絶える。そんな時はいつまでも気にかかる。最近そんなケースが多くなったのは、互いに歳をとったからだろう。高木さんもその一人だ。駆け出し記者の頃、出会った川崎の“立ちん坊”だった。
 戦後間もない昭和20年代には街角のあちこちに自由労働者の溜まり場ができ、仕事を求めてそこに集まる人々を“立ちん坊”と呼んだ。
 高木さんは戦前、東京・四ツ谷の菓子屋の主人だった。戦災が彼の生涯を狂わせた。生きるために立ちん坊の群れに身を投じたが、妻子はそんな高木さんを疎んじた。
 独り身同然の彼の侘しさを慰めてくれたのは、若い頃からの趣味だった俳句である。
 「句集を計画している立ちん坊」の噂を追ったのが、高木さんとの出会いだった。彼は分厚いメモを見せてくれた。その道にはズブの素人の私だが、生活体験のにじんだ作品にはホホウと叫びたくなる共感があった。自由労働者の句集出版。ちょっとした明るい街ダネである。私は暇あるごとに彼の仕事先を捜し出して「本はまだか」と促した。
 やがて出来上がった句集は世辞にも上等とは言えなかったが、中身は素晴らしいと好評だった。「新聞のお陰で有名人になりました」とはにかみながら笑っていた彼の顔は今も忘れない。
 そんな縁から、高木さんとの賀状交換が始まった。それから二十年余り、ひょっこり私の職場を訪れた高木さんから近況報告を聞かされたが、息子や嫁との折り合いが悪く、幸せとは言えないようだった。
 「昔が懐かしいンです。そんなとき、あなたからの年賀状を取り出して見ています」と言って帰ったのが最後で、彼の年賀状は二度と来なかった。
 こんなこともある。「わたし誰だか判る?」と自宅に電話がかかった。その東北訛りはどこかで聞いたことがある。「ちょっと待って……あっ、石さんだ、石森さんだ」
 「懐かしいね。近く定年でね。挨拶状出そうと思って古い手紙を整理していたら、アンタの年賀状が出てきたンで、急に声が聞きたくなってね」
 石さんは警察官だった。情報収集のうまい公安課の警部補で仙台の出身。そのズーズー弁はいつまで経っても取れなかった。彼の家には夜討ちもかけたし、酔っ払って用もないのに押しかけもした。その都度、奥さんの手料理をご馳走になった。
 その奥さんを亡くした後、年賀欠礼のハガキをもらった翌々年、石さんからの賀状は来なかった。代わりに息子さんから来た手紙は「生前のご厚情ありがとうございました」と石さんの訃報を伝えるものだった。
 今年送った賀状の何通かが「転居先尋ねあたらず」のスタンプを押されて戻ってきた。その中には、経営不振と噂されていた友人がいる。好漢も不況の波に呑み込まれたかと思うと寂しい。







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