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檀林風発
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 若き日は特ダネ記者 

 異色のお坊さんたる所以は、新聞記者出身という経歴にある。記者といってもピンキリだが、古林肇道和尚はピンピンのピンで、毎日新聞の東京本社社会部で鳴らした特ダネ記者であり、名文家であった。寺の跡取りとして生まれ、大正大学で仏教学を修めたが、戦後の混乱の中で社会貢献の道を模索し、教員を経て新聞社に職を求めたのである。

 失敗談はいくつも面白おかしく話してくれたが、元来シャイなので、特ダネを抜いた自慢話はとんと耳にしたことがない。国鉄(今のJR)を長らく担当し、鉄道記者として数々の武勇伝を残したと承知していたものの、具体的にどんな記事を書いたのかは知らなかったし、昔の新聞は無署名だったので調べようもなかった。

 つい先だって、たまたま旧国鉄幹部と会った際に「古林さんに、新幹線の最初の超特急料金をすっぱ抜かれた」と聞かされ、正直言って驚いた。東海道新幹線が開業した1964年当時、国鉄は人々の生活スタイルに組み込まれていたから、ダイヤの改正や運賃改定のニュースは、新聞の1面トップを飾っていた。それだけに史上初めての超特急料金をめぐっては、各新聞社の社会部の腕っこきが特ダネ合戦を演じていた。新幹線にいくらで乗れるのか、は利用者の関心事というだけでなく、国家的な政策決定だったから、それをすっぱ抜いた記事は歴史的スクープと社会を騒がせたに違いない。

 「よーい、ドンの勝負」と私たちは呼んでいるが、同じニュースを各社の記者と競い合って追い掛け、特ダネをものにするのは、ラグビーでフォワードの選手がぶつかり合うようなものだ。誰も知らない話を発掘する特ダネより格段に難しく、20人、30人に1人の真に実力ある記者しか勝者にはなれない。だから、最初の新幹線料金をスクープで報じたとは、後輩として敬服し、羨ましくも思う。

 脱線するようだが、もう少し新聞記者の世界の話を続ける。

 一般的に新聞記者は正義感が強く、熱血漢も多いが、犯罪や権力者の不正、腐敗を暴くことを究極の取材対象としている社会部記者は格別だ。反権力の視座から権力機構を監視することが使命と心得ていることはもちろん、強弱の2者があれば、まずは弱い側に味方しようと考える習性がある。世の中の動きに敏感であろうと心がけ、新しいモノ好きでもある。見かけに惑わされることなく、本質に迫らねばならないと自覚し、記事を書く際にはどうしたら読者が喜ぶだろうかと思い悩む。無頼であって野卑でなく、実態はともかく孤高で気高くあろうとしている……。こうした社会部記者本来の性癖を踏まえれば、宗教家としての肇道和尚の価値観や生き方が、すとんと胸に落ちるはずだ。


 「株式会社城源寺」 

 「檀家に配当を出したい」。和尚がこんなことを言い出したのは、新聞社を定年退職して、坊主稼業に本気で取り組み出してしばらくしてのことだった。何かの文書に『(株)城源寺』と誤記されたのが発想のきっかけという。正しくは『宗教法人・城源寺』と表記すべきはいうまでもないが、和尚は「いや、寺を株式会社と称する方がふさわしい」と考えたのだから、尋常ではない。

 僧侶は本来、お布施によって生き、寺は檀家に支えられているものだ。だから「坊主丸儲け」といわれるのだし、寺は「やらずぼったくり」が当たり前になっている。しかし、檀家に寺からの有形無形の見返りがあれば、菩提寺を心のよりどころと実感できるようになり、喜んで寄進という名の投資をするようにもなる。寺はそれに応えて、配当の形で檀家に様々なサービスを提供すれば、有機的な人のつながりができ、活性化していく。そんな風に考えれば、寺は「仏教を扱う株式会社」と位置づけてもおかしくない……という理屈のようだ。

 実際、城源寺フォーラムを主宰し、各界の専門家を招いて講演会を催したり、講談の神田紅師匠の定期公演会を開催したりしているのは、寺としての配当を支払っているつもりでもあるのだろう。だからこそ、入場料などは一切取らない。地域の文化情報発信地を目指しているから、檀家に限らず、他宗派、異教徒の来場もウェルカムである。問題は、株式会社なら黒字経営でない限り配当は出さないのに、和尚は一見、採算など度外視しているように映る。節分の福引で豪華景品を出血サービスもするから、檀家世話人としてはハラハラさせられることも少なくない。

 しかし、和尚は寺のあるべき姿をもっとロングレンジで考えている。目先の利益にこだわらないのも、そのためだ。“葬式仏教”と揶揄され、寺が葬祭場と化している現状を憂えばこそである。

 新聞の死亡記事欄を注視すれば一目瞭然なのだが、著名人の“葬式離れ”は猛烈なスピードで進行している。葬儀のあり方をめぐる価値観が多様化しているだけでなく、葬祭業者による行き過ぎた葬儀の演出が人々の神経を逆なでし、拝金主義に目がくらんで悪乗りしている僧侶たちの姿が人々の嫌気を誘っている面は否めない。支持者を増やさねばならぬ政治家までが、派手な葬儀・告別式を敬遠し、せいぜいが家族だけの密葬で済ませている。早晩、一般の市民たちの“葬式離れ”や“寺離れ”が深刻化することは必至だから、寺は葬式を当てにしていたのでは成り立たなくなる。新聞記者として社会事象の変化を元に、先を見つめてきた和尚の慧眼は、とっくにそのことを見抜いている。

 このままでは寺は歴史的建造物か観光資源でなければ、存立し得ない。それでは一般の僧侶が食い詰めてしまう、と怖れているのではない。寺が機能しなくなった時に、人々が精神的な支柱を失い、社会がますます混迷の度を深めてしまうと、和尚は心配するのである。フォーラムに力を入れてきたのも、あの手この手で“寺離れ”を防ぎ、寺を中心とした文化を復興させることを社会的な使命と位置づけてのことだろう。

 アイディアは凝らすが、奇をてらうのではなく、本道を求め、むしろ寺として仏教の原点に回帰しようとしている。そこに、特ダネ記者としてフォワード戦を戦い抜いてきた和尚の本質を見る思いがする。奇襲作戦ではなく、真っ向勝負で正面突破を狙っているのである。浄土宗という一つの宗門や、ましてや城源寺という一末寺の繁栄を目指すのではなく、日本の仏教全体、ひいては日本人の精神生活を念頭に入れて行動するところに、和尚の面目躍如たるところがある。

 歯に衣着せずに仏教界の現状を批判してきたのに、浄土宗の神奈川教区で教化団長などの要職を歴任してきたのも、そうした和尚の考え方が業界内でも受け入れられているからに違いない。専業住職としての経験は豊富とはいえないし、実は、軍隊や警察以上に階級社会になっている宗門にあって、和尚の僧侶としての階級は「律師」という最下層なのである。修行年数やら住職としての経験年数、さらに本山への貢献度などによって階級が上がるシステムらしく、その気になれば多少は上の階級になれるらしいのだが、和尚は昇進を拒み、敢えて最下層の坊さんに甘んじてきた。「欲しいのは勲章ではなく、大衆の喝采だ」と言った喜劇王チャップリンの発想に通じるのではないかと推察するが、宗門への一つのアンチテーゼを問題提起しているのだろう。万事を呑み込んで要職に就けてきた宗門側も、なかなかにしたたかである。


 卒塔婆不要論 

 四半世紀も前に、城源寺では卒塔婆を廃止してしまったのも、環境対策を先取りした和尚の考えによるものだった。最後は燃やすのに卒塔婆のために木材を切り出せば、その分、地球の緑を破壊する。燃やせば、煙が上がって周囲に迷惑を掛ける。どうしても必要と言うならば、一枚の紙で代用してもよいではないか、といった理屈だった。お陰で城源寺の墓苑は、お化けが出そうにないほど整然としている。檀家は法事の際に、余計な出費をせずに済む。

 和尚は、戒名も不要だという檀家には敢えて授けない。世間では当たり前になっている「戒名料」の存在に、疑念を抱いていることの表れだ。戒名を否定しているのではない。それなりの意義は認めているのだろうが、俗名にこだわる檀徒の信条を無視できないというのだ。それなのに、命名料(戒名料)まで支払わされるなんてとんでもない、と和尚は言うのだ。

 アイデアマン 

 和尚はなかなかのアイデアマンである。最後まで完成させたのは檀家の電気エンジニアだが、「自動点火香炉付賽銭箱」を編み出したこともある。賽銭箱の前に立つと自動的に香炉に火が付いて焼香ができる。その際、賽銭を入れて拝礼し、立ち去れば火は自動的に消えて火の用心ーーという仕組みだ。今も本堂に据えられているが、賽銭箱に賽銭が入っていたことはない。お陰で賽銭泥棒にも狙われずに済んでいるから、深謀遠慮に基づいた傑作と言えるかもしれない。

 「一代墓」は、疑いの余地がない傑作である。子供のない夫婦や独身者のために一代限りの小さな墓を作った。少子化社会や未婚者の増加をにらんだアイディアで、寺が続く限り、寺が墓を守り続けて無縁仏にしない、というのだから人気を集めたのは当然だ。普通の寺は無縁仏を嫌うのに、敢えて逆を行く。これもジャーナリスティックな発想だし、結果的に檀家が増える一大要因ともなったが、根底には困ったり、悩んでいる人に手を差し延べられずにいられるか、との宗教人としての真摯な思いがある。

 最近はIT(技術革新)化に合わせ、コンピューター時代にふさわしい寺のあり方を研究している様子だ。ホームページを立ち上げたのも、インターネットという最先端の情報網を活用して仏教の原点に戻り、寺を活性化させたいとの一心だ。家族に直接は言いにくい感謝の気持ちや子孫たちへの伝言をメールで受け付け、ご本尊に託して次代につなげようとする「みほとけ伝言板」の発想もユニークで、時代の要請に適っている。国際化や外国人労働者の流入で日本人のアイデンティティが重要視される時代が迫る。過度な個人情報保護の施策によって、役所は人のルーツを証明できない。禁断の個人情報を御仏が管理するという新手法は、人々の心を豊かにするだけでなく、寺を再生するのではないか。今後の発展が楽しみな“城源寺名物”だ。

 「類は友を呼ぶ」の喩えあるがごとく、檀家には和尚のいうテラリストが少なくないが、フォーラムを通じて檀家以外、仏教徒以外にも広がったテラリストの輪がネットワークによって拡大することを期待したい。


 長屋の大家さん 

 和尚との出会いは、今から三十有余年前、新人記者として赴任した新聞社の秋田支局でのことだった。

 一昔前までの新聞社の地方支局では、支局長と支局員は長屋の大家と店子の間柄以上に、濃密な関係で結ばれていた。というのも、新米記者は入社後4、5年を地方支局で見習いを務めるのが習わしで、支局長はデスクと共に新人記者を教育する任を負っていたからだ。小さな世帯で始終顔を突き合せているから、衝突することも多かったが、新人記者にとっては初めて仕事ぶりを見せ付けられる先輩記者だから、良しにつけ悪しにつけ、あるいは仕事であれ遊びであれ、支局長の影響を受けるのだった。

 幸か不幸か、和尚は私にとって初めての上司であり、和尚にとっては真っさらの新人記者としては私が初めての部下だった。それこそ箸の上げ下ろしから記者のイロハを教えられた。原稿もよく見てくれた。

 ひょっとしたら、和尚には白いキャンバスを自分の好きな色に染めていくような喜びがあったのかもしれない。政治部志願の私は内心、迷惑とも感じたが、何とか私を一人前の事件記者に育てたかったらしく、事件取材の職人芸もずい分叩き込まれた。当時、秋田で配る新聞の締切時間は夕方だったのに、東京の締め切りの午前1時半までニュースを追いかけろ、といわれ、連日、秋田警察署の当直部屋で警戒させられた。もちろん、よくサボったが、和尚は時々酔っ払って警察署にやって来て、私がいると「頑張っているな」と居酒屋に誘ってくれた。不在だと翌朝、「ちゃんと夜回りしたのか」と糾された。

 基本的には誉め上手なので滅多に怒鳴られたことはなかったが、ご無体な注文はよく付けられた。たとえば、「メモをこまめに取れ」というのでメモ帳を取り出すと、「メモを取るぞ、と構えて相手がしゃべるか」と叱られた。電話の受話器をとっさに右手で取り上げると、「君は左利きか。メモを取るために持ち替える手間が無駄だし、相手の話も聞き逃す」と注意された。

 初雪が降ったら、融けないうちに銀世界の写真を撮らねばならないから、と初雪警戒の名目で、徹夜の麻雀や花札も付き合わされた。実際、和尚と三冬を共に過ごし、三冬とも真夜中に降る秋田の初雪を一緒に拝んでいる。そのうちに事件記者を志すようになり、記者生活のほとんどを事件取材に費やす結果となった。和尚のとんでもない影響力である。

 以来、師弟関係というより大家と店子の関係で今日まで来た。一緒にいて誰かに出会うたび、和尚は決まって「この男が今日あるのは、私のお陰なんですよ」と笑いながら紹介する。私は「師匠は出藍の誉れということを知らないんですよ」と混ぜっ返す。掛け合い漫才のようなやりとりを楽しんでいるうちに、いつしか、和尚は実の父親にも勝る存在となった。

 失礼ながら、俗っぽくて、人格清廉な高僧には程遠い。わがままで、分からず屋の一面もある。だが、和尚ほど他人事に親身になれる人もいない。年齢差を考えると難しいかもしれないが、引導を渡されるなら肇道和尚に限る。
                         城源寺 檀家世話人 三木賢治
                               (毎日新聞論説委員)
          

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