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カモン!ルーシー






新連載「格言コラム」タイトル命名の由来は?

2009/04/20(月)
酒とイバラの日々
 ローマのG7の“もうろう会見”で、世界中に醜態をさらした中川昭一・前財務・金融担当相は偉かった。身を捨てて、国益を守ったからである。
 それというのも、本当はあの会見で、財政危機に陥った米国に助け舟を出すため日本政府が米国債をどのくらい購入するかを披露する、という密約が交わされていた。日本が仮に1000億ドル分買うと言えば、対抗上、中国は2000億ドルを買うことになり、日中からのカンフル注射だけでも米国財政は一息つく。そうなれば、国際経済も一挙に上向く。
 だから、世界中が中川氏の発言を注視していたのだが、国を憂う中川氏自身は米国債に大枚をはたいてしまっては日本の財政がおぼつかなくなる、と悩みに悩んだ。購入すべきでないと結論を下したが、日米関係を重視しなければならない立場上、購入しないとは言えない。日米間の約束や各国からの期待もある。そこで、大芝居を打って酔っぱらったふりをして、米国債に言及しないまま会見の場を切り抜けた。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」という捨て身の作戦だったのである。
 ――という説が兜町で流布しているというのだが、信じられようか。もともと酒癖の悪さは後輩の政治記者から聞かされていたし、ただの酔っぱらいとしか映らなかったが、こんな話が広がるところを見ると、まんざら世間は見限っていないのかもしれない。

 酒税法の所管官庁として全国の銘酒が集まるせいでもなかろうが、財務大臣(かつては大蔵大臣)にはなぜか、酒にまつわる逸話が目立つ。

 酒で失敗した代表格は、第二次吉田茂内閣の蔵相だった泉山三六氏。国会の議員食堂で酔いつぶれ、食堂前の廊下で日本初の女性代議士の1人、山下春江議員に抱きついてキスを迫り、山下議員が抵抗するとアゴにかみついた。有名な1948年の「キス事件」だが、蔵相辞任、さらに議員辞職に追い込まれている。
 中川氏の「もうろう会見」は「キス事件」以来のご乱行で、吉田首相の孫の麻生太郎首相の代に起きるとは因縁めいていないか。

 もう1人、酒で忘れられないのは、戦前は近衛内閣、東郷内閣の蔵相として戦時予算を組んだり、戦時公債を乱発し、戦後はA級戦犯として終身刑に処せられて巣鴨プリズンに服役した賀屋興宣氏である。
 永田町随一の飲兵衛と自他共に認め、朝に一升、昼に一升、晩に二升、寝酒にまた一升という大酒食らい。大蔵官僚出身で、主計局長の頃は四斗樽が主計局のど真ん中に置かれ、予算編成期ともなると、「四斗樽は日本の財政を守り、軍の横暴を跳ね返す防波堤だ」とうそぶき、各省庁から押し寄せる予算分捕り合戦を戦い抜く活力源にしていたという伝説の主だった。
 赦免後も法相などを歴任した大物政治家だが、死後、米国公文書館の開示文書でCIAの協力者だったことが裏付けられている。政治家としての評価は分かれるところだ。

 中川、泉山、賀屋の3氏に共通するのは、酒とバラに囲まれた日々を送った末、酔いから覚めれば、いばらの道が待ち受けていたこと。もっとも人間万事塞翁が馬。泉山氏はその後、“大トラ大臣”として知名度が上がり、参議院議員選挙の全国区で当選。見事にカムバックを果たしている。果たして中川氏はどうなることか。

酒とバラの日々
 1962年の米国映画の佳作。題名からはオシャレでロマンチックなムードが漂うが、実際は大違いでアルコール依存症に陥ったカップルを描くシリアスなドラマ。「酒といばらの道」と言う方がぴったりくる。主演はジャック・レモンとリー・レミック。ヘンリー・マンシーニが作曲した同名のテーマ曲(『Days of Wine and Roses』)は、アカデミー歌曲賞に輝き、ジャズのスタンダードナンバーとして多くの歌手に歌い継がれている。
No.011

2008/09/26(金)
真実イチロー
 大リーグ・マリナーズのイチローが、またしても8シーズン連続200安打という偉業を成し遂げた。107年ぶりの快挙だそうだ。野球発祥の地でもちろん本場でもある米国で、日本人選手のイチローが、野球草創期の輝ける記録の数々を次々に塗り替えていくのだから痛快である。

 新聞社の後輩の運動部記者に聞いた話では、イチローは大変な硬骨漢らしい。マリナーズのキャンプでは米国人選手らがトランプ遊びにふけるのが我慢ならないらしく、1人仲間から離れてバットを振り続けるそうだ。
 王貞治監督が率いるWBCの日本軍が金メダルを獲得した際、イチローはチームメイトを焼き肉店に招待して結束を強めようとしたことが広く知られているが、とにかく万全の態勢を整えてゲームに臨まないと気が済まないらしい。そのWBCのキャンプでも、筋肉トレーニングや打撃練習に打ち込むイチローの熱心さ、ひたむきさにチームメイトは舌を巻いたと言われる。イチローの野球には、求道者としての厳しさがある。
 イチローの野球哲学の最大の特徴は「足し算主義」にあるという。一回一回の打席を大切にして、1本ずつヒットを積み上げていく。日本のプロ野球では7度、大リーグでも2度首位打者になっている。が、その気になってフォアボールを選んだり、意識的にバットを振れば、難なく打率はもっと上がる。イチローはもちろん承知しているが、ヒットを1本でも多く打ちたいから、積極的に打って出る。仮に、首位打者争いを演じていて、休場すれば首位打者が確定するような場面に遭遇しても、イチローは逃げずに打席に向かうと決めている。「割り算主義」を徹底して排するのだそうだ。

 イチローはかなりの変人でもあるらしい。体のバイオリズムを狂わせたくないせいか、シーズン中の昼食には一貫して夫人手製のカレーライスを食べ、他のものは食べない。目先の損得を考えれば、「足し算主義」にも疑問なしとしない。
 しかし、イチローは真実一路、野球と向き合ってきた。マネーゲームに狂奔し、濡れ手で粟のように巨利を得た者が英雄視されてきた米国の金融が崩壊を迎えた今、コツコツと成果を積み上げるイチローの偽りのない真実の生き方は、改めて評価されてよいのではないか。
 『真実一路』は山本有三の名作。その冒頭の言葉「真実一路の旅なれど、真実、鈴振り、思い出す……」。イチローのコツコツと弛まぬ「足し算主義」に思わず「真実イチロー」の造語が口を衝いた。

真実一路
 一筋に真実を求めて生きていくこと。ひたすらにおのれの真実を尽くすこと。「主婦之友」誌上に連載された山本有三による小説『真実一路』冒頭の言葉は、北原白秋の詩集「巡礼」から引用されている。
No.010

2008/06/22(日)
タクシー千里を走る
 東京・霞が関の官庁街に出没する「居酒屋タクシー」の存在が、社会問題化している。タクシーと役人が演じた不行状だけに、一言申し上げておきたいことがある。

 旧国鉄や旧運輸省の担当記者の溜まり場であった「ときわくらぶ」に、私が所属していた昭和30年代後半のことだ。当時、東京オリンピックを控えて高速道路や東海道新幹線の建設が進んでいたうえ、過密な通勤輸送ダイヤの解消問題などを抱え、結構多忙なセクションだった。過密ダイヤをめぐっては、161人の死者が出た東海道線鶴見事故を契機に、輸送の安全が叫ばれていたのである。経済界は神武景気から鍋底景気へと移行する変動期でもあった。
 「ときわ」は業界との付き合いもある記者クラブだけに、盆暮れに多少の到来物がなかったわけではない。儀礼の範囲内の菓子類などは記者仲間で遠慮なく頂戴していた。ところが、私が入会したばかりのころ、「ときわ」の部屋の片隅に「手を触れるな」と書かれ、シーツに包まれた荷物が転がっていた。聞けば、タクシー協会からの届けものだ。貰う筋ではないが返しそびれてそのままになっている、とのことだった。

 一口に交通業といい、公共輸送機関と称されながらも、鉄道に比べれば、零細企業から成るタクシー業界は、とかく取材対象から見落とされがちだった。トラブルがあっても、地方版の片隅で小さく扱われていた。
 ろくなつき合いもない「ときわ」になぜ、“零細業界”が贈り物をしてきたのか。興味を抱いて業界団体を取材に訪れると、意外な人物に出食わした。5・15事件で犬養毅首相の暗殺に加わった青年将校の一人、山岸宏海軍中尉、その人だった。
 当時、東京の下町、深川にあった40台ほどの小さなタクシー会社の社長だったが、全国乗用旅客自動車連合会(通称・全タク連)の広報部長でもあった。

 彼は「ときわ」への贈り物をした理由をこう説明した。
 「役所はタクシーを公共の足と評価した上で、増車や運賃の許認可を握っている。が、実態は彼らをはじめプレスを含んだ一般の認識は“昔の駕籠掻き”程度にしか思っていない。我々は天下の公共輸送機関です。記者諸君もタクシーについてもっと勉強して戴きたいのです」
 私が小田原の出身と知ると山岸さんは、とたんに打ちとけた様子で夫人が小田原に別邸を持っていた旧宮家・閑院宮の縁者だったと明かし、当面する業界の課題をざっくばらんに話してくれた。

 神武景気でタクシーの利用が急増すると業界には様々な反応が表れた。
 実車率(走行時間に占める乗客中の割合)は60lにもなっており、ほうぼうの駅頭には車待ちの行列が延々と続いている。順番を無視して遠距離客を優先する乗車拒否、自家用車によるもぐり行為の白タク、運賃代わりに法外な値段のハンカチを売り付けるハンカチタクシーも横行していた。暴走行為も増え、事故やスピード違反が多発した。……そんな状況だったから、業界への世論の風当たりは強かった。
 しかし、浮かれた神武景気も長くは続かず、その後は鍋底景気に転じ、売上が伸びた時に引き上げられたドライバーの水揚げのノルマは、売上が下がっても変わらない。勢い無謀運転が絶えなかった。「神風タクシー」が出現したのはそのころであった。神風とは戦後日本を旅行したアメリカ人が、神風特攻隊を連想して命名したのだという。

 こんな業界を監督官庁が黙って見逃すわけにはいかない。東京オリンピックを前にしたハイタク業界の正常化対策として真っ先に挙げられたのが、神風タクシーの征伐だった。一方では、オリンピック特需に備えた増車を機に、個人タクシー構想が浮上していた。
 タクシーの個人経営は戦前にもあったが、一部に“雲助タクシー”とか“モーロータクシー”と呼ばれる悪徳業者が目立ったせいで、戦後は法人タクシーだけが認可されていた。

 個人タクシーの再現に業界は猛烈に反対したが、自らの乱脈を指摘されては抵抗もままならず、昭和34年末には、マル優マークを持つ173名の第一次個人タクシーが東京陸運局のテストをパスして誕生した。
 忘れられないのは、その発表に際して記者会見した運輸当局が、個人タクシーを「業界の優等生」と称したことである。

 同時に当局は、臨時措置法を設け“公正中立の立場でタクシーを善くする機関”としての「タクシー近代化センター」を東京と大阪に設置した。
 その業務はタクシー事業の適正化(つまり運転手の再教育)にあったから、業界内での指導監督が必要との理由がこじつけられ、近代化センターは当時の運輸省の下級官僚の天下り先となった。その後の法改正でセンターは恒久化された。

 「居酒屋タクシー」は、そのなれの果てとして登場したのである。業界の優等生のはずの個人タクシーが深夜帰宅の役人を顧客にしようとビールやつまみを提供し、運輸省を前身とする国土交通省の役人らまでが接待を受けていた。公務用タクシー券の料金には、ちゃっかりと車内の飲み代が水増し請求されているとみられている。客の役人側は自分の懐が痛むわけではないから、と納得づくで水増し料金を記入し、タクシードライバーは身銭を切らずに顧客にサービスができる、という仕組みだろう。「近代化センター」はいったい何を監視していたのか。税金の無駄遣いを身内のことだからと見逃していたのなら、存在する意味がない。元海軍中尉、山岸さんの熱っぽい語りが懐かしい。
 「役人とタクシー千里を走る」は、断じて許しがたい。

悪事千里を走る
 よいことはなかなか知れ渡らないが、悪い行いや悪い評判は、すぐ世間に知れ渡る。悪事千里とも、悪事千里を行くともいう。
No.009

2008/03/28(金)
人命はギョーザより軽い
 人の噂も七十五日とは、よくぞ言ったものだ。食の安全を脅かした中国製冷凍ギョーザ事件も、衆参ねじれ国会のどさくさに紛れてウヤムヤにされそうだ。もっとも、この事件、福田総理には荷が重かったのか、中国からの後難を恐れたのか、一遍の抗議もしないどころか「(中国側の捜査への取り組みに付いて)非常に前向きだった」と述べているのだから開いた口が塞がらない。
 来日を控えた胡錦濤国家主席や夏の北京五輪を配慮したとしても言うべきことははっきり言っておいてもらいたい。
 すでに国民の支持からも浮き上がっている福田さんなのだから、最後っ屁を放つくらいの覚悟をもってやって欲しい。麻薬密輸とか暴力団対策など日中両国警察の協力関係はこれからも続くことはご承知だろう。

 とりわけ食の安全は、両国双方国民の人命に係わる問題。いや世界の人々の安全に係わることなのだから、中途半端な妥協は許されない。世界の食糧供給国中国の食の安全に、日本も一肌脱いだことになれば今回の一件は「雨降って地固め」た日中友好の礎となるのではないだろうか。

人命は地球より重い
 人命に係わる問題といえば、総理の父君、福田赳夫元総理の大英断が忘れられない。
 1977年9月28日。乗員、乗客あわせて156人を乗せてボンベイ空港を離陸した日航8型機が、日本赤軍を名乗る5人に乗っ取られた事件だ。同機はバングラデシュのダッカ空港に強行着陸させられ、同国空軍参議長を通じて日本政府は身柄拘留中の過激派7人、刑事犯2人の釈放と身代金600万ドルを要求された。
 時の赳夫総理は、超法規的措置を決断。犯人の釈放と引き換えに人質となっていた乗員、乗客を解放させた。決断に際しての言葉は「人命は地球より重い」。今も心に残る名言だ。


No.008

2007/01/09(水)
牛後となるも鶏口に甘んずるなかれ
 陸上競技の花形といえばマラソン、そのマラソンの団体戦が駅伝だ。毎年正月2、3日に行われる東京・箱根間関東大学駅伝は天下の険の山登りコースを控えているだけにレース運びや走者の配置、習熟度、監督の資質と緻密な分析力、駆け引きなどが必要だ。そこが見所でもあるから興味津々だ。
 駅伝は数多いが、メジャーレースの最高峰の箱根を是非とも走りたいと、健脚自慢の学生が北海道や九州からも東京の大学を目指して集まってくる。当然、参加志望校も増え、選手も年毎にハイレベルになっているから、最近はシード校を10に絞り、残りの10チームは入れ替え予選によって選ばれる。
 選手が粒揃いだから前年の優勝校といえども油断はしていられない。優勝争いのほか、シード権の争奪合戦もまた熾烈だ。個人競技のマラソンと違って、選手は次へたすきを渡す義務があるから倒れても起き上がり、また倒れても這い上がってレースを繋ごうとする。シード権を死守するためには失神寸前の極限まで体を張って頑張る。その責任感と敢闘精神が観衆を感動させる。

 さて、メジャーとマイナーの違いは駅伝に限ったことではない。
 中国の諺では「鶏口となるも牛後となるなかれ」という。鶏口は小さくとも食事が摂れる大切なところ、牛後は大きいが糞を出すしか能が無い。どうせ勤めるなら大企業で他人に使われるよりも、自分を生かせる中小企業のリーダーになって存在をアピールすべきだ、というたとえに使われる。
 日本にも「鯛の尾より鰯の頭」。イタリアには「ローマで2位になるより村で1位になれ」と、似たような格言がある。だが、実際にはどうだろう。
 マイナーの2軍で甘んじて自分を小さくしてしまうよりは、たとえメジャーのドン尻でも1軍に止まっていれば、周囲に刺激されて前向きで緊張した自分を維持できるだろう、だから、処世観としては「牛後となるも鶏口に甘んずるなかれ」が正しいのだ。箱根駅伝をテレビ観戦しながら、そう思った。

鶏口(けいこう)となるも、牛後(ぎゅうご)となるなかれ
 中国の戦国時代、合従策を唱える蘇秦が大国の秦に降伏しそうになった韓の王に、「鶏の頭(小国の王)となっても、牛の尻(大国の家臣)にはなるな」と説き、六国合従を進めた故事より(出典:『史記(蘇秦列伝)』『戦国策(韓策)』)
No.007

2007/12/31(月)
一年の計は大晦日にあり
 「日本人は正月を大事にするが、年が替わるとすべてを御破算にしようとする発想があることは嘆かわしいことだ。「一年の計は元旦にあり」という言葉も一見、計画を立てて実行に向かう前向きの姿勢を感じさせるが、その実は、旧弊は忘却の彼方に追いやってしまおうとする能天気さの表れではあるまいか。浄土宗カレンダーには「正月は自分の心を正す月」とある。自省なくしては、新しい計画がうまく行くはずはあるまい。

 2007年は食品などの偽装に明け暮れ、消えた年金問題などで政府は平気で嘘を繰り返した。あろうことか、安倍晋三首相は政権を投げ出した。無責任とインモラルの数々。どうしてこれらを忘れられよう。大晦日には一年を総決算し、損失を改めて認識して翌年は挽回しようと意を決するべきではないか。

 翌年の前進へとつなげる一年の計算を大晦日にこそ行うべきである。

一年の計は元旦にあり
 「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり」 一日の計画は朝早いうちに立てるべきであり、一年の計画は年の初めの元日に立てるべきである。ものごとは最初が肝心であるというたとえ。
No.006

2007/11/12(月)
我流点睛を欠く
 我流は「オレ流」、さらに「流」は「竜」との掛け言葉と読んで頂きたい。
 中日ドラゴンズがプロ野球日本一を決めた日本シリーズ第5戦のことである。
 落合監督は、あと3人を打ち取れば完全試合という土壇場で、好投していた山井を降板させた。個人記録よりチームの優勝を優先させたわけだが、この采配の評価は分かれる。メディアの論調や識者の談話も真っ二つに割れている。

 勝つための確実性という点では岩瀬の方が一枚も二枚も上手、というのが専門家の一致した見解だ。だが、プロ野球での完全試合は至難の業で、これまでに15人しか達成していない。ましてや日本シリーズでの完全試合となれば、今後もあるかどうか、という偉業だ。山井に投げさせてやりたかった、というのがファンの人情だろう。
 万一、9回に山井が打たれたところで、中日が負けるとは限らないし、負けても3勝しているから余裕がないわけでもない。いくら修羅場をくぐり抜けたリリーフエースとは言っても、岩瀬が打ち込まれる可能性がなかったわけでもない。ファンに夢を売るのがプロ野球とすれば、たとえ勝利を逸しても完全試合のロマンを求めてほしかった、とも思う。
 一方、落合監督にしてみれば、二度もあと一歩のところで日本一を逃してきただけに、是が非でも勝ちたかったのだろう。情にほだされて泣きを見るのは、結局は監督だ。中日ファンの期待に応え、地元・名古屋で日本一を決めることを優先させるのが、ビジネスとしても正解と言えるのかもしれない。

 はて、さて。判断に迷うが、山井の完全試合で勝利していれば、「我流点睛を欠いた」とのそしりを受けずに済んだことだけは間違いない。
 落合監督は現役時代、3度も三冠王に輝いた強打者だが、なぜか、人気はイマイチだ。私生活でも怪気炎を上げる夫人に押され気味のように映る。要するに華がないので損をしているのだが、今回の采配も性格によるものかもしれない。長島なら、きっと山井に投げさせていただろう。付き合うならば、落合よりも長島の方が楽しいことも間違いあるまい。

 続投か、継投か。読者の皆様だったらどちらを選んだだろうか。
                                         カモン!ご意見→

画龍(がりょう)点睛を欠く
 中国の南北朝時代、梁の張僧(ちょうそうよう)という画家が金陵の安楽寺の壁に四つの竜を描いた。目を描いてないのでわけを聞くと、目を入れると天に昇ってしまうからだという返事だった。実際にそのうちの二つに瞳を描いたところ、本物の竜となって天に昇ってしまったという。「歴代名画記」にある故事だが、「画龍点睛」とは、最後に大事なところを加えて物事を完成させること。「画龍点睛を欠く」とは、ことは総じてうまく運んだが肝心なところに不備があることをいう。
No.005

2007/11/06(火)
当たらぬ矢の矢応え
 「格言を以って世相を斬る」新コラムのタイトルが『カモン!ルーシー』と決まった矢先、その初弾の標的に引っ掛かってきたのが、福田さん、小沢さんのトップ会談です。『カモン!』と誘ったのは一体、どちらだったのでしょう。

 参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」に加え、インド洋での海自の給油活動も中断に追い込まれている。“大連立”の打診は、福田さんにしてみれば、捨て身の起死回生策だったのかもしれない。
 空振りに終わって政治手腕を疑う声もあるが、もともと窮地に立たされているのだから失うものは少ない。むしろ、訪米を前に、やるだけのことはやったという意味で、米国向けのアリバイ作りには成功したのかもしれない。

 一方、小沢さんは、敵の懐に飛び込んで、かき回してやろうとの戦法だったのか。有力な候補者を立てられない選挙区が思いのほか多く、来たるべき総選挙では苦戦必至との読みがあるというが、民主党の役員会ではねつけられ、すかさず辞意を表明したところをみると、いただけないことに小沢さんは一人相撲をとっていたようだ。
 心臓の持病のせいか,小沢さんにはもともと激務の総理になる気がないという。そのせいか、政権奪取よりも政界再編成への策動に関心があるように映るのが、二大政党時代に期待する有権者には何とも歯がゆい。自民、民主のトップが中選挙区制に戻そうとの密談までしていたといわれると、政治は進んでいるのか、後退しているのかわからなくなってきた。
 
 ところで、党首会談後に福田首相が記者会見で「連立というか、まあ新体制ですね。政策実現のための新体制」と発言したのが、気になってならない。「新」と付くから新しい表現かと言えば大間違い。近衛文麿政権下の昭和15年ごろ、ソビエト、イタリア、ドイツで一党独裁のファシズム運動が展開されたのに倣って、日本でも挙国一致運動の要が叫ばれた。やがて、政友会、民政党の二大政党の大合併によって大政翼賛会が結成され、戦争の坂道に迷い込んでいくのだが、大政翼賛運動を当初、新体制と当時の近衛首相は名付けたのである。福田さんはそれを知っていたのだろうか。

 “大連立”を提唱し、今回の会談の仕掛け人とも言われるのは、ナベツネこと読売新聞グループの渡邉恒雄会長だ。新聞人が政治のパワーゲームに茶々を入れるのもいかがなものかと思うが、ひょっとしたら「当たらぬ先の矢応え」にほくそえんでいたのだろうか。しかし、矢は外れたのである。

 小沢さんが退陣を表明した日の新聞の川柳が暗示的だった。
  何ってことするのと妻がいったキス

当たらぬ先の矢応え
 射った矢がまだ的に届かないうちから当たったと思って騒ぎ立てる。平家物語の故事から出た言葉で、当てにならないことの譬え。
No.004





2007/10/05(金)
変われど相手変わらず
 初の“父子総理”となった福田康夫首相が発足させた内閣の支持率は、読売、毎日、朝日各新聞社の世論調査によれば、それぞれ58、57、53%となり、滑り出しは順調だ。もっとも、国会で所信表明や代表質問が行われる前の段階でのアンケートだから、好感度調査の域を出ていない。安倍晋三前首相の無残な退陣の直後だから、このくらいの御祝儀相場になるのは当然かもしれない。
 かねがね調整型の政治家と評されてきた福田さんだが、総裁選に立候補してからは「皆さんの先頭に立って……」と闘志を剥き出しにした。首班指名後も、衆参両院の“ねじれ現象”やテロ対策特別措置法の延長問題を抱える難局だけに、並々ならぬ決意のほどを見せている。組閣に際しても、自ら「背水の陣内閣」と名づけて見せた。自民党最後の内閣となりかねない瀬戸際に立っていると自覚していればこそ、の命名だろう。

 しかし、私は「居抜き内閣」と渾名しようと思う。18人の閣僚のうち新顔は首相自身のほかに石破茂防衛相と渡海紀三朗文部科学相の2人だけ。他の15人は再任か横滑りで、顔ぶれは安倍前政権と変わりがないからだ。
 それで「居抜き」という次第。東京の銀座、それも新橋寄りでは、なじみの店に久しぶりに顔を出すと、店構えも調度類も変わっていないのに、店の名前と経営者だけが変わっていて驚かされることが珍しくない。ちいママがママになおっていたりして、「どうしたの?」「居抜きで譲り受けたのよ」といった会話が交わされもする。「居抜き」とは、そのままの状態で引き継ぐこと。意外にも思えるが、用例を見ると、「良い家に引っ越せて運が良かったな」「うん、居抜きの出物があったのさ」――といった具合で、縁起の良い表現として使われるケースが目につく。

 首相を中心に考えれば、「主変われど相手変わらず」という状態である。逆に「相手変われど主変わらず」ならば、第5次内閣まで組んだ吉田茂元首相をはじめ、第3次までなら鳩山一郎、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎の5氏がいる。「主」だけが変わったのは、極めて珍しい。
 衆院解散までの選挙管理内閣と陰口を叩かれる福田内閣だが、小泉、安倍と続いた劇場型政治の負の遺産処理を担う責任もある。福田さんは「お年寄りには安心を、若者には希望の持てる国を実現したい」と語った。その言葉を信じてよいものか。いずれにしても、「主」も「相手」もしばらくは落ち着くことが先決かもしれない。
相手変われど主(ぬし)変わらず
 相手は次々に変わっても、こちらは常に同じことを繰り返していることにいう。

2007/09/15(土)
(し)も舌に及ばず
 一度口から出た言葉(失言)は、駟(四頭立ての馬車・当時最速の乗り物)で追いかけても取り戻すことは出来ない。論語に登場する、孔子の弟子・子貢の言葉。

 「女性は産む機械」の柳沢伯夫厚労相、「原爆投下しょうがない」の久間章生防衛相、「アルツハイマーでも分かる」の麻生太郎外相。(いずれも第1次安倍内閣時代の閣僚)よくも懲りない失言の連発。内閣の支持率は下降線を辿った。
 内閣改造で心機一転のはずのオンタイ安倍首相までが、記者団を前に、インド洋での海上自衛隊の給油活動継続に触れ「職を賭す」と発言した。実現できなければ内閣総辞職の決意を表明したのは、自ら敷いた「背水の陣」「起死回生」の大博打だったから……。
 マスコミの反応は丁半裏目の“半”。「自爆宣言」と受け取ったから政局は一気に動きだし、前代未聞の<投げ出し辞職>を引き出してしまった。こんなこともあるのだから、人の上に立つ者の言葉は、くれぐれも慎重でなければいけない。口は災いの元、綸言(天子の言葉)汗の如し、ともいう。

2007/08/09(木)
泣いて馬謖(ばしょく)を斬れず
 今回の参院選で自民党は歴史的大敗を喫し、参院第一党を民主党に奪われた。安倍晋三内閣では、昨年九月の発足から十ヶ月の間に舌禍や政治とカネの問題を巡って三人の閣僚が辞任、自殺した松岡利勝農相の後任となった赤城徳彦前農相にも選挙戦直前に事務所費の不明朗が露見し、自民惨敗の誘因となった。ただでも側近重用型の安倍首相は、これら不祥事の度に「任命責任は私にある」と彼らを守っていた。
 赤城前農相辞任の件でも、罷免や辞任勧告ではなく、党総務会で辞任か更迭かと迫られて、留任構想のないことを初めて明らかにした。
 「泣いて馬謖を斬る」決断を欠いたことが、支持率を下げ、参院惨敗につながった。
泣いて馬謖を斬る
 命令に背いて規律を乱す者を、私情をはさまずに処分すること。中国の三国時代、蜀の名軍師諸葛孔明は魏との戦いで、かわいがっていた武将の馬謖が命令に反して行動、大敗したため、軍法にしたがって処刑したとの「三国志」の逸話に由来する。


〜肇道和尚の『如是我聞』〜
庫裡から悶々とかくこの世はははんほほう話

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