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−庫裡から悶々−トップへ                                         (2009/12/05)
    第47回    「○にする」
 
庫裡から悶々
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第52回 追憶のフィンガー・メロディー

第51回 “きょろきょろ人”

第50回 さあ大変!ハが抜けた

第49回 誰ぞ知る

第48回 国鉄由来の事故さばき

第47回 「○にする」

第46回 ゾロ薬品の普及を妨げるのは誰?

第45回 仏像展余話

第44回 “逆出家”老尼の有情無情

第43回 『K・Y』の政教一致

第42回 消えた檀家

第41回 臆病は隠蔽の母

第40回 撒き餌政治

第39回 串刺しルート

第38回 鈴虫だって「リンリ」と鳴く

第37回 複眼で成功した『おくりびと』

第36回 「笑っちゃう」ではすまない

第35回 語り継ぐ義挙

第34回 良い夢見ようよ

第33回 舌禍読禍宰相禍

第32回 冒頭の終わり


第31回 振り込め詐欺の真犯人

第30回 「老人力」のすすめ

第29回 僧徒たるを悔ゆる日

第28回 偶感「昭和二十年八月十五日」

第27回 仰げば恥ずかし わが師の陰

第26回 横綱の品格

第25回 『黄門さま』いずこ

第24回 戒めの16文字

第23回 百年目の「汚物教師」

第22回 怠慢の「12分」

第21回 物言いの一番

第20回 沖縄戦集団自決の真相究明に妥協は許されない

第19回 落ち葉して木々凛々と

第18回 『広辞苑』と私

第17回 子なき家

第16回 “軽老精神”

第15回 5W1Hプラスα

第14回 教育勅語から酌むべきもの

第13回 失われたニッポン人のDNAは再生出来るか

第12回 助けられたり助けたり

第11回 怯懦な共犯者

第10回 「最良のもの」探す日々

第9回 内角の和の中にをり石鼎忌

第8回 世直し先生は街角にいる

第7回 ある天文学者の遺言

第6回 壊れる家々の悲鳴

第5回 嗚呼!硫黄島−兵士たちの慟哭が聞こえる


第4回 よく聴けよ!柳沢大臣

第3回 無機質な社会の中で


第2回 義挙へのもどかしさ

第1回 ついの棲み家は姥捨山

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 カモン!ルーシー
とかくこの世はははんほほう話


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 檀林風発 
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肇道和尚の「如是我聞」

 「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」。戦後最大のヒットと謳われた放送劇『君の名は』の冒頭のナレーションは、忘れることの辛さ、難しさを嘆いて、多くの人々の共感を呼んだ。
 それなのに、本来は忘れられない、また、忘れてはならない悲しい思い出を、記憶はおろか記録までも抹殺しようと工作したというのだから許せる話ではない。

 107人の死者と500人以上の重軽傷者を出した2005年3月のJR福知山線脱線事故の加害者たるJR西日本が、調査報告書の作成をめぐって、兵庫県警に事情聴取される予定の幹部を対象に「聴取対策勉強会」を開催したり、「ポリちゃん想定問答集」を作成し、口裏合わせをしていたのである。旧国鉄OBの事故調査委員や調査見解を説明する公述人に接触して調査報告書案の変更を求めたり、資料提供を拒否するよう要望するなど組織ぐるみの隠ぺい工作を重ねていたことも、最近になって明らかになっている。嘆かわしいまでの暴挙である。

 驚きはしない。「JRに代わっても、相変わらず旧国鉄の体質を引きずっているな」 と実感し、ただ呆れるばかりだ。1963年から当時の国鉄記者クラブ(ときわくらぶ)に詰めて国鉄の分割・民営化に至る道のりをつぶさに追いかけてきただけに、旧国鉄マンの思考回路や行動パターンは理解してきたつもりだし、ふてぶてしくも巧みな事故隠ぺい術にも何度か接している。もともと国鉄では「○にする」という言葉があり、部外にに発覚して問題にならないようであれば、どんな事故でもなかったことにする習癖があるのだ。

 忘れ得ぬ隠蔽術の最高傑作は、東海道新幹線が開業して間もないころのことだ。滑稽だが、笑いごとでは済まされぬ「事故」がきっかけだ。熱海駅で下りの「こだま」が、運転士をホームに置き去りにして発車してしまった、というのである。当時の国鉄の説明によれば、運転士は尿意をこらえていたため、駅に停車するのを待ちかねたようにホームに降り、トイレに駆け込んだ。用を足しているうちに列車のドアが閉まって発車してしまったため、取り残された運転士はタクシーを飛ばして三島駅まで追いかけたが間に合わなかった。しかし、列車に乗り合わせていた別の運転士が代わって運転席に着いていたので運行に支障はなかった……。
 これが真っ赤なウソ。ことの真相は、運転士が腹痛を起こして車内のトイレにこもっているうちに、車掌がドアを閉めたため列車が無人のまま自動発車した、というものだった。もちろん事実を隠していたが、下手に発覚すれば痛烈な批判を浴び、責任問題に発展するからと先手を打ち、話を面白おかしくして記者クラブで発表したのだった。結局、真相が暴露されて国鉄は恥の上塗りをした形になるのだが、でっち上げ話を発表した広報課員は後日、「あの時ほど冷や汗が出たこともなかった」と述懐したものだった。

 同じ新幹線には、危うく大惨事、という怖い話もある。
 開業1年半目の1966年、ゴールデンウィークを控えた4月21日夜の出来事だった。新大阪発東京行の上り「ひかり42号」が名古屋を出た直後、ドカッという異常な揺れに見舞われた。車掌が窓の外に目を凝らすと、列車は豊橋鉄橋付近のカーブに差し掛かっており、後部車両の車輪が火花を散らしているのが見えた。あわてて運転士に車内電話で連絡し、列車を急停車させて事なきを得たが、乗り合わせていた車両課員が点検してみると、車軸に亀裂が走っており、油が噴出していた。そのまま高速走行を続けていれば、大事故につながるところだった。列車は豊橋までバックして運転を打ち切り、乗客は後続列車に移す事態となったが、それでも国鉄は部外者にはありふれた車両故障を装った。駅長ら関係者にはきつく緘口令をしいたのである。

 その実、東京駅丸の内口の駅前にあった国鉄本社では、安全運転を根底から脅かす車輪の破損事故に上を下への大騒ぎとなっていた。総裁以下の幹部が非常呼集され、深夜2時半から極秘の緊急対策会議が開かれた。新聞記者に気づかれないようにと、戦時中の灯火管制でもあるまいに、明かりが外に漏れないように窓という窓にカーテンを張り巡らせる気の配りようだった。
 事態は想像以上に深刻で、翌早朝、列車を近くの浜松工場まで運び、車両から車軸を外した途端、車輪は音を立ててばらばらに分解してしまった。発見が遅れれば脱線どころか転覆さえ免れないところだった。千分の10という下りの急こう配を走行中だったから、列車は浜名湖に突っ込んでいたかもしれない。それでも国鉄は、殊勲甲の車掌を表彰しただけで、事故を公表することはなかった。

 この事故の8カ月前の1965年8月に起きた事故にも肝を冷やしたが、隠しおおした。東京・新大阪間の4時間運転から3時間に移行する準備に追われていたときだった。
 新大阪発の上り「ひかり2号」が新横浜を通過して大倉山トンネルに差し掛かろうとしたとき、グリーン車の8号車の前方主軸2軸が大空転し、ディスクブレーキがすっ飛んだ。列車を新横浜駅に戻して調べると、ボルトが前方に引き戻され、車軸の両側にあった厚さ30_のディスクが飛び散っていた。砕けた破片は車両の床を貫いて座席を壊し、天井にも10数か所の穴を開けていた。「もし客がいたら」と思うとぞっとする。この8号車はアメリカ人の団体客が全席を予約していたが、京都でキャンセルされていたのが不幸中の幸いだった。
 大音響がしたともいわれるから、事故が外部に察知されなかったわけでもない。横浜の警察からは「新幹線が鉄の塊を飛ばしていた。何かあったのか」と問い合わせがあった。警察署にはディスクブレーキの破片が届けられており、国鉄の担当者は再三、警察官から説明を求められたが、「原因不明」で押し通してごまかした。
 これらは初期故障の部類だが、ことの重大さを踏まえれば、当然発表されてしかるべきだし、国鉄にはその義務もあったはずだ。だが、隠ぺい術のおかげで私が知ったのは何と10年後のこと。グループ誌で新幹線開業秘話を特集した際、関係幹部から明かされたものだった。

 記者はニュースを嗅ぎ取る。企業はそれをさせまいと、あの手この手の防御手段を弄する。その第一線を担うのが広報部だから、取材記者VS企業広報部の攻防が新聞紙面を面白くする要素だと言えるかもしれない。
 当時の国鉄の広報部は、記者たちが一線を越えて土足で踏み込まないように話題性に富んだ記事になるようなネタを撒き餌として配ったものだった。
 記者たちはそのネタに踊らされながらも、出稿ノルマを果たす。昔はグリーン車全線無料パスなども提供されていたから御用記事ばかり書く。よほどの事態でない限り、国鉄を批判する記事は書こうともしない記者が多かった。私自身、記者クラブの体質に反発していたつもりではあるが、反省すべき点も少なくない。取材する側される側双方のなれ合い。この旧弊が、福知山線での未曾有の事故に対する世論の批判に耐え切れなくなってか、眠りから目を覚まし、今度のような組織ぐるみの隠ぺい工作へとつながったのではあるまいか。

 今も変わっていないと思うが、霞が関の官僚や国鉄のエリート職員たちは、入省(入社)順の「学士名簿」を開くことを何よりも楽しみにし、名前の掲載場所がシングルページになると、「山頂が見えてきた」と己のが身の出世にほくそ笑んだものだった。その楽しみを部下の失敗で奪われたくないから、自分はもちろん持ちつ持たれつで仲間の責任まで回避しようと組織ぐるみの工作に狂奔したのである。
 そうそう、こんなこともあった。1959年7月、無人電車が暴走して6人の死者を出した三鷹事件の復旧作業が続くさなか、国鉄幹部の乗用車が新聞社の原稿便を運んでいたオートバイをはね、運転手にけがをさせた。乗用車には女性が同乗していた。この事故ももちろん隠蔽されて真相は闇の中に葬り去られた。渦中の人物は故人となった。今回の西日本の諸工作の主役たちの顔ぶれは、この故人の後に続いていたエリート国鉄マンなのである。







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