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−庫裡から悶々−トップへ                                         (2009/06/11)
    第42回    消えた檀家
 
庫裡から悶々
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第52回 追憶のフィンガー・メロディー

第51回 “きょろきょろ人”

第50回 さあ大変!ハが抜けた

第49回 誰ぞ知る

第48回 国鉄由来の事故さばき

第47回 「○にする」

第46回 ゾロ薬品の普及を妨げるのは誰?

第45回 仏像展余話

第44回 “逆出家”老尼の有情無情

第43回 『K・Y』の政教一致

第42回 消えた檀家

第41回 臆病は隠蔽の母

第40回 撒き餌政治

第39回 串刺しルート

第38回 鈴虫だって「リンリ」と鳴く

第37回 複眼で成功した『おくりびと』

第36回 「笑っちゃう」ではすまない

第35回 語り継ぐ義挙

第34回 良い夢見ようよ

第33回 舌禍読禍宰相禍

第32回 冒頭の終わり


第31回 振り込め詐欺の真犯人

第30回 「老人力」のすすめ

第29回 僧徒たるを悔ゆる日

第28回 偶感「昭和二十年八月十五日」

第27回 仰げば恥ずかし わが師の陰

第26回 横綱の品格

第25回 『黄門さま』いずこ

第24回 戒めの16文字

第23回 百年目の「汚物教師」

第22回 怠慢の「12分」

第21回 物言いの一番

第20回 沖縄戦集団自決の真相究明に妥協は許されない

第19回 落ち葉して木々凛々と

第18回 『広辞苑』と私

第17回 子なき家

第16回 “軽老精神”

第15回 5W1Hプラスα

第14回 教育勅語から酌むべきもの

第13回 失われたニッポン人のDNAは再生出来るか

第12回 助けられたり助けたり

第11回 怯懦な共犯者

第10回 「最良のもの」探す日々

第9回 内角の和の中にをり石鼎忌

第8回 世直し先生は街角にいる

第7回 ある天文学者の遺言

第6回 壊れる家々の悲鳴

第5回 嗚呼!硫黄島−兵士たちの慟哭が聞こえる


第4回 よく聴けよ!柳沢大臣

第3回 無機質な社会の中で


第2回 義挙へのもどかしさ

第1回 ついの棲み家は姥捨山

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 カモン!ルーシー
とかくこの世はははんほほう話


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 檀林風発 
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肇道和尚の「如是我聞」

 昭和20年代後半、新聞社の首都圏の支局で駆け出し記者だった頃、後味の悪い特ダネを書いたことがある。
 まずは時代背景に触れないと、理解してもらえないかもしれない。日本共産党は昭和30年の第6回全国協議会で武装闘争方針を放棄し、民主化路線を歩み出すのだが、それ以前は非合法政党とされ、マッカーサー指令によるレッドパージを受けた党幹部は地下に潜伏していた。行方を全国の警察や治安当局が血眼になって追いかけており、党幹部の消息は新聞も大きなニュースとして報じていた。
 朝日新聞が新聞史上最大の誤報とされる『伊藤律架空会見記』を掲載したのも、昭和25年のことだ。所在不明になっていた故伊藤律氏に、朝日新聞神戸支局の記者が兵庫県宝塚市の山中で出会ったという内容で、故伊藤氏の表情が生々しく描かれ、記者との一問一答が紹介されていた。間もなくスクープを狙った記者によって捏造された記事と判明、朝日新聞は訂正を出し、件の記事を縮刷版から削除するという前代未聞の措置を講じている。20年以上も後に判明したところでは、故伊藤氏は中国に渡っていたというから記者が会えるはずはなかったのだが、記者たちは会見記を書きたいと夢見るほどに幹部党員の行方を追っていた。その頃の話である。


 特ダネの舞台は、下宿から私鉄で一駅のところにある警察署の管内の私立高校だった。その警察署への朝駆けから毎日の日課をスタートさせていたせいもあって、署内には檀家が多く、取材には好都合だった。僧侶の私が言うと紛らわしいが、檀家とは寺の檀家のことではなく、情報提供者とか取材協力者を指す記者用語である。
 その高校では、新任教師が試用期間の満了とともに退職させられたのをきっかけに、教師を慕う生徒側と学校側が激しく対立、父母たちを巻き込んだ紛争へと発展した。3年生は事態の経過説明と退職勧奨の撤回を卒業式の答辞で要求する、と学校に通告、それに1、2年生が同調して「同盟休校」に突入したのである。後の大学紛争を彷彿とさせるが、急進派の高校生によるストライキは珍しく、戦後の混乱期を象徴するニュースだった。
 警察署内の檀家から耳打ちされたのをきっかけに、連日、高校に通い詰めては折に触れて記事にしていたが、事態はなかなか収拾しなかった。ふた月、み月とこう着状態が続いたが、現場での取材を重ねるうちに生徒や父兄、出入りする関係者と顔見知りになった。そのうちに檀家も増え、紛争の陰で関西の大物財界人や有名私立大学の経営者らが問題の高校を系列に収めようと画策している、といった裏事情も見えてきた。


 ある日、見知らぬ男に肩を叩かれた。男は私の知人の義兄と名乗り、公安調査庁に勤務している、と自己紹介した。「ここで知り合ったのも何かの縁。取材に協力させていただきますよ」。言われてみれば、警察の公安課でも見かける顔だった。タナボタのような檀家志願者の出現に、内心でしめた、と思わなかったと言えばウソになる。男は情報作業に携わる者の習性か、人目をしのぶように私を誘い、時に飲食をねだった。私は情報提供を期待し、酒食を振る舞った。
 紛争の長期化で卒業式が大幅に延期されることが決まった後だった。男が「いいネタがある」と酒席を設けるように要求した。
 「問題の教師は共産党の秘密党員でね」。仲居が席を離れるのを待ちかねたように、男が切り出した。「証拠は?」と質すと、手あかのついた鞄を取り出した。東京の山手線の車内の網棚に置き忘れられ、飯田橋の遺失物保管所に届けられた教師の鞄だという。中に学園紛争に関する共産党のマル秘文書が入っていた。一緒にあった書類を筆跡鑑定した結果、件の教師のものと判明したのだ、という説明だった。男は「お役に立つのなら」と鞄と筆跡鑑定の写真、さらにはネガフィルムまで添えて私に差し出した。
 はやる気持を抑え、それらを手に警察、学校当局、同僚の教職員らを回り、私なりに裏付けを得た。支局長やデスクに報告すると、「よくやった」と新人記者の取材に満足した様子で、原稿をせかされた。
 『渦中の教師は秘密党員』――夕刊の社会面に3段抜きの見出しが躍った。4ページしかなかった当時の新聞としては、特ダネを意識した派手な扱いだった。


 記事をきっかけに、紛争は潮が引くように収束した。生徒と後押ししていた父兄たちが、高校に寄り付かなくなったせいだった。アカ≠フレッテルを貼られたら、たちまち世間から排除される時代だった。記事は、水戸黄門の印籠にも似た威力を発揮したのだった。ストライキはたちまち解除され、授業が再開された。学校当局の関係者からは口々に「お手柄ですね」と褒めそやされたり、礼を述べられた。
 平静さを取り戻した校内を歩きながら、次第に妙だな、と感じ、背筋が寒くなった。話が出来過ぎてはいないか、はめられたのではないか……。確かに筆跡は教師本人のものと寸分変わりがなかったが、公安調査庁なら、真似することなどはお手のものかもしれない。マル秘文書が入った鞄を置き忘れたという話も偶然にしては出来過ぎている。
 教師の両親からは新聞社に事実誤認だとする抗議が来た。
 もう一度、問い質そうと、男に連絡を取ろうとした。だが、男は消えていた。公安調査庁は「転勤しました」と言うばかりで、所在を明かそうとしない。男とは2度と顔を会わせることがなかった。


 真相は藪の中に葬られた。教師は共産党と何らかの関係はあったのだろう。だからといって、特ダネにして悠々たる若者の前途を奪うほどのことだったのか。結果として私が檀家の男に乗せられたことは否めず、記者として経験を積んでいれば、もっと精緻な取材ができたようにも思う。党員情報に狂奔したあの頃を思い出すたびに、苦いものがこみ上げてくる。共産党はその後、大きく様変わりしているからなおさらだ。
 最近の新型インフルエンザの騒動で、集団休校となった学校の中に問題の私立高校の名前を見つけた。「同盟休校」に加わったかつての生徒たちは、あの頃を思い出したに違いない。私の悔悟の念は、強まるばかりだ。







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