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−庫裡から悶々−トップへ                                         (2009/05/03)
    第41回    臆病は隠蔽の母
 
庫裡から悶々
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第52回 追憶のフィンガー・メロディー

第51回 “きょろきょろ人”

第50回 さあ大変!ハが抜けた

第49回 誰ぞ知る

第48回 国鉄由来の事故さばき

第47回 「○にする」

第46回 ゾロ薬品の普及を妨げるのは誰?

第45回 仏像展余話

第44回 “逆出家”老尼の有情無情

第43回 『K・Y』の政教一致

第42回 消えた檀家

第41回 臆病は隠蔽の母

第40回 撒き餌政治

第39回 串刺しルート

第38回 鈴虫だって「リンリ」と鳴く

第37回 複眼で成功した『おくりびと』

第36回 「笑っちゃう」ではすまない

第35回 語り継ぐ義挙

第34回 良い夢見ようよ

第33回 舌禍読禍宰相禍

第32回 冒頭の終わり


第31回 振り込め詐欺の真犯人

第30回 「老人力」のすすめ

第29回 僧徒たるを悔ゆる日

第28回 偶感「昭和二十年八月十五日」

第27回 仰げば恥ずかし わが師の陰

第26回 横綱の品格

第25回 『黄門さま』いずこ

第24回 戒めの16文字

第23回 百年目の「汚物教師」

第22回 怠慢の「12分」

第21回 物言いの一番

第20回 沖縄戦集団自決の真相究明に妥協は許されない

第19回 落ち葉して木々凛々と

第18回 『広辞苑』と私

第17回 子なき家

第16回 “軽老精神”

第15回 5W1Hプラスα

第14回 教育勅語から酌むべきもの

第13回 失われたニッポン人のDNAは再生出来るか

第12回 助けられたり助けたり

第11回 怯懦な共犯者

第10回 「最良のもの」探す日々

第9回 内角の和の中にをり石鼎忌

第8回 世直し先生は街角にいる

第7回 ある天文学者の遺言

第6回 壊れる家々の悲鳴

第5回 嗚呼!硫黄島−兵士たちの慟哭が聞こえる


第4回 よく聴けよ!柳沢大臣

第3回 無機質な社会の中で


第2回 義挙へのもどかしさ

第1回 ついの棲み家は姥捨山

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肇道和尚の「如是我聞」

 4年前、106人の死者を出したJR福知山線の脱線転覆事故もゴールデンウイーク直前の出来事だったが、なぜか鉄道にとってゴールデンウイークは験がよくない。

 この際、鉄道記者をしていた43年前の文字通りの「秘話」を明かそう。
 東海道新幹線は1964年の開業以来、自殺やホームでのトラブルを除き、「事故死者0」の記録を今日まで続け、確固たる「安全神話」が出来上がっているが、実は、危うく未曾有の大惨事となる重大事故を起こしている。当時の国鉄新幹線支社長、故谷伍平氏が思わず、人前で「何とかが縮み上がった」とお品のよろしくない言葉を吐いたほどだったが、国鉄の巧みな隠密作戦のため新幹線の歴史からは消され、新聞、テレビでもきちんと報道されていないのが実情だ。

 1965年4月21日のことである。17時30分に新大阪駅を発車した上り東京行「ひかり42号」が、名古屋を出た直後だった。「ドカッ」という異常な揺れを、車掌が感じた。ひやりとして、ふと車窓に目をやると、折から列車は豊川鉄橋付近のカーブに差し掛かっており、後部の車両の車輪が火花を散らしているのが見えた。大変だ、と運転士に電話で一報し、列車は非常ブレーキで急停車した。
 偶然乗り合わせていた車両課の職員が線路上に下りて調べると、件の車軸には亀裂が走り、割れ目からグリースが噴き出していた。これ以上走行させるのは危険と判断、列車を豊橋までバックさせて運転を打ち切った。国鉄では列車を逆行させただけでも大変な騒ぎになるのだが、ありふれた車両故障を装い、乗客を後続列車に移すと澄まして運転を再開させた。

 事態を重視した国鉄当局は関係者に徹底した緘口令を布いた。本社では総裁以下幹部が非常招集され、深夜2時半から緊急対策会議が開かれた。新聞記者に感づかれないように、明かりが外に漏れるのを防ぐなど厳戒態勢下での秘密会議だった。なぜ、車軸に亀裂が生じたのか、は謎に包まれていた。何らかの欠陥があることは間違いなかったが、開業から3年目、全国民の夢を乗せて走る新幹線に事故などは許されない状況だった。

 会議では、破損した車軸と同一メーカーの製品を使っている車両は、運行を停止すべきだとの意見が出たという。正論と思われたが、ゴールデンウイークを控えた多客期に、危険の確証もないまま列車を運休させることなどできない相談だった。鉄道用語で運休のことを「ウヤ」と呼ぶが、“うやむやウヤ”でも相次ごうものなら不審を招くとあって、検車係を乗車させ、緊急時に対応させることにして急場をしのぐことにした。

 事態は予想したより深刻だった。事故車両を翌朝、工場に送り、台車から亀裂が入った車軸を外した途端、車軸は音を立ててバラバラに壊れた。そのまま走っていれば、脱線転覆は免れぬところだった。しかも、現場は千分の10(1000メートルで10メートルの高低差)の下り勾配だったから、時速200キロで浜名湖に突っ込んで阿鼻叫喚の修羅場と化していたかもしれない。谷氏ら関係者が肝を冷やしたのは無理もなかった。

 新幹線はCTC(自動列車制御装置)はじめ従来の鉄道では考えられない航空機並みの安全対策が施されているが、当時は発覚しなかっただけで、実際には想定外の初期故障が相次いでいた。
 1965年8月には、上り「ひかり2号」が新横浜を大倉山トンネルに差し掛かろうとしたとき、グリーン車の床下で車輪と一緒に回転していたディスクブレーキ板が大空転し、バラバラになった破片が吹っ飛んで、床板も客席のイスも突き破り、さらに天井まで突き抜けるという前代未聞の事故を起こしている。
 グリーン車には京都から外人の団体客が乗るはずだったが、直前にキャンセルされ、空車になっていた。それが不幸中の幸いで、「もし客がいたら」と考えただけでもゾッとする事故だった。その頃、東京ー新大阪間の所要時間を4時間から3時間運転に切り替える作業に追われ、ブレーキの安全検知器取り付けを間引きしたのが仇となったことは間違いなかった。この事故も、当時の国鉄によって部外秘とされて闇から闇へ葬られた。

 新幹線の安全対策作りを担当した当時の関川行雄調査役(後の国鉄常務、故人)が、「臆病な日本人が考え出した安全対策です」と安全性の高さを自慢していた姿が忘れられない。「臆病は安全の母」がモットーともいわれていたが、国鉄は世論の反応に臆病になりすぎて、事故を公表することができず、隠蔽に走ったのかもしれない。
 その後は安全対策が抜本的に見直され、新幹線は本当に安全になったと聞いているが、2件の「ヒヤリ事故」については明かされずじまいで、もちろん事故原因も部外者には不明のままだ。私自身、事実をつかむまで時間がかかってしまい、記事にするタイミングを失って、危険性を指摘できなかったのだから、記者として忸怩たる思いがある。むろん特ダネをものにできなかった悔しさもある。爾来、ゴールデンウイークを迎えると心穏やかではいられない。







和尚が聞く!‐NYOZEGAMON INTERVIEW‐

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