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−庫裡から悶々−トップへ                                         (2008/10/15)
    第32回    冒頭の終わり
 
庫裡から悶々
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第35回 語り継ぐ義挙

第34回 良い夢見ようよ

第33回 舌禍読禍宰相禍

第32回 冒頭の終わり


第31回 振り込め詐欺の真犯人

第30回 「老人力」のすすめ

第29回 僧徒たるを悔ゆる日

第28回 偶感「昭和二十年八月十五日」

第27回 仰げば恥ずかし わが師の陰

第26回 横綱の品格

第25回 『黄門さま』いずこ

第24回 戒めの16文字

第23回 百年目の「汚物教師」

第22回 怠慢の「12分」

第21回 物言いの一番

第20回 沖縄戦集団自決の真相究明に妥協は許されない

第19回 落ち葉して木々凛々と

第18回 『広辞苑』と私

第17回 子なき家

第16回 “軽老精神”

第15回 5W1Hプラスα

第14回 教育勅語から酌むべきもの

第13回 失われたニッポン人のDNAは再生出来るか

第12回 助けられたり助けたり

第11回 怯懦な共犯者

第10回 「最良のもの」探す日々

第9回 内角の和の中にをり石鼎忌

第8回 世直し先生は街角にいる

第7回 ある天文学者の遺言

第6回 壊れる家々の悲鳴

第5回 嗚呼!硫黄島−兵士たちの慟哭が聞こえる


第4回 よく聴けよ!柳沢大臣

第3回 無機質な社会の中で


第2回 義挙へのもどかしさ

第1回 ついの棲み家は姥捨山

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 カモン!ルーシー
とかくこの世はははんほほう話


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肇道和尚の「如是我聞」

 時は紀元前五世紀。“孔子十哲”のひとり、子貢が衛の国の長官・棘子成と君子論を展開した。「あなたが尊敬に値する人格者とはどんな人物ですか」。子貢の問い掛けに「人はやっぱり実質でしょう。内面が大切です。文が立ったり、弁がいくら優れていても、結局は飾り物にすぎません」と、子成が答えた。
 子貢は反発した。「そんなことを言ったら、四頭立ての馬車(駟)で追いかけても取り返しのつかない失言となりますよ。文を取り去った質はなく、質を取り去れば文も輝きを失うでしょう。人間的な実質と文化的教養を合わせ持ってこそ、君子なのです」
 論語の顔淵篇に登場するこのエピソードは、失言を戒める「駟(し)も舌に及ばず」の格言となって現代に語り継がれている。

 「かしこくも、御名御璽をいただき」――二代にわたって在位一年足らずと短命内閣が続いた後を引き継いだ麻生太郎新首相は、就任最初の本会議冒頭の所信表明演説をこう切り出した。
 ギョメイギョジって? 恐らく若い国会議員たちは首を傾げたことだろう。私自身は、この言葉にギョッとして、思わず不動の姿勢をとるところだった。
 御名御璽は法令の公布文、首相や最高裁長官を任命するときの辞令に用いる天皇の署名・公印を指す古めかしい呼び名である。

 この言葉には、深く心に刻まれた少年の日の思い出がある。戦前、戦中の小中学校での公的儀式では、教育勅語が朗読され、その最後は必ず御名御璽で結ばれたものだった。
 進行係の教頭先生が「御影開扉(ギョエイカイヒ)」と発声すると、壇上正面のカーテンがスルスルと左右に開く。居並ぶ学童はもちろん教職員一同、厳粛な面持ちで見守る。次いで「教育勅語棒読」の声。袱紗を掛けた勅語が“奉持”されて入場。モーニング姿に純白の手袋をした校長先生の手に渡される。
 一同、最敬礼して“棒読”が始まる。この間、数分から十分くらいだろうか。会場は咳き一つなく、水を打ったような静けさに包まれる。その緊張が、「ギョメイギョジ」という最後の“お言葉”で解かれる。途端に咳き込んだり、鼻水を啜ったりする音が聞こえ、開放感が式場に広まる。

 麻生首相の「ギョメイギョジ」は、戦後六十余年間忘れていた幼い日の思い出だけでなく、敗戦にまつわる悲しい出来事の数々をも蘇らせてくれた。
 河村官房長官は、新聞記者の問い掛けに「麻生さんは教育勅語を諳んじることの出来る唯一人の国会議員です」と言ったそうだ。が、その真意は奈辺にあったのだろう。
 麻生首相は「ギョメイギョジ」に続けて、「新総理の任命を、憲法上の手続きに乗っ取って続けて来た統治の伝統」と強調し、さらに「その末端に連なる(私の)責任の重さに……」と続けた。
 そこには、「臣・茂」と自ら称していた大宰相の祖父・吉田茂への思慕の念と、その祖父と「臣・麻生太郎」として同列に叙したことへの感激が満ち満ちていたと、私は読み取った。

 だが、御名御璽は戦後の日本人の多くが忘れていた、というより、思い出したくない単語なのだ。恐らくそれを承知で、あえてこの言葉をもちだした麻生さんの心情を問いたい。奢りなのか、民心無視なのか、はたまた単に発想が時代錯誤なのか、と。
 毎日新聞の社説でも「現憲法では天皇は国会の指名に基づき、首相を任命する。首相の立場は戦前の明治憲法下とは明らかに違う。これについてどう考えているのか、もっと詳しく歴史的認識を聞きたい」と指摘している。

 「ギョメイギョジ」は主権在民の今、民生の要を握る君子たる首相の資質を疑わせるに十分な言葉ではなかろうか。
 祖父・吉田茂には「馬鹿野郎解散」の過去がある。ことと次第によっては戦後最大級の失言ともなりかねない。
 「ギョメイギョジ」は、戦中派にとっては“終わりの合図”なのだ。









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