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−庫裡から悶々−トップへ                                         (2008/09/16)
     第30回   「老人力」のすすめ
 
庫裡から悶々
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第35回 語り継ぐ義挙

第34回 良い夢見ようよ

第33回 舌禍読禍宰相禍

第32回 冒頭の終わり

第31回 振り込め詐欺の真犯人

第30回 「老人力」のすすめ

第29回 僧徒たるを悔ゆる日

第28回 偶感「昭和二十年八月十五日」

第27回 仰げば恥ずかし わが師の陰

第26回 横綱の品格

第25回 『黄門さま』いずこ

第24回 戒めの16文字

第23回 百年目の「汚物教師」

第22回 怠慢の「12分」

第21回 物言いの一番

第20回 沖縄戦集団自決の真相究明に妥協は許されない

第19回 落ち葉して木々凛々と

第18回 『広辞苑』と私

第17回 子なき家

第16回 “軽老精神”

第15回 5W1Hプラスα

第14回 教育勅語から酌むべきもの

第13回 失われたニッポン人のDNAは再生出来るか

第12回 助けられたり助けたり

第11回 怯懦な共犯者

第10回 「最良のもの」探す日々

第9回 内角の和の中にをり石鼎忌

第8回 世直し先生は街角にいる

第7回 ある天文学者の遺言

第6回 壊れる家々の悲鳴

第5回 嗚呼!硫黄島−兵士たちの慟哭が聞こえる


第4回 よく聴けよ!柳沢大臣

第3回 無機質な社会の中で


第2回 義挙へのもどかしさ

第1回 ついの棲み家は姥捨山

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とかくこの世はははんほほう話


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 檀林風発 
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肇道和尚の「如是我聞」

 ここ一発というところで、野球の監督さんはポンと打者の肩を叩いていうのである。「力を抜いていけよ」。 この辺の呼吸がわかる選手は「老練」といわれる。
 年とって忘れっぽくなると、肩の力が抜けて警戒心がなくなる代わりに、新しいものが入り易くなり、脳は活性化する。これを『老人力』と名付けたのは作家の赤瀬川原平さんだ。ここに気づけば、開き直って前向きに生きていけると、赤瀬川さんはおっしゃる。つまり、その「老練」さをフル活用して余生を楽しもうじゃないか、というわけだ。


 みずほ総合研究所が顧客向けに配布している『Fole』8月号の特集には『祖父母力』が登場している。
 閉塞感に包まれた社会だからこそ、おじいちゃん、おばあちゃんの知恵や個性が生きる。祖父母力が日本の家族を支える時代だ、と4家族の事例を紹介している。

 その一つ、東京・府中の石川家は祖母、父母、孫の3世代6人家族である。
 母親がパート仕事に出るため、石川家の夕食作りは月曜日〜金曜日までを長男(高校生)次男(中学生)長女(小学5年)と母、祖母の5人が輪番で担当。土・日曜日はお父さんが作る。
 その日、夕食当番だった小学生の長女は、調理の最中「おばあちゃん、ウオミトリカワだったね」と祖母に念を押した。
 「魚は身から、鳥肉は皮から焼け」とは料理の基本なのだが、こんな表現での料理指導があったなんて、今時の若い主婦たちは知らなかっただろう。これもおばあちゃんの知恵である。

 それぞれの当番には口出ししないルールもあるから、おばあちゃんはそれとなく見守ってはいるが、決して手出しをしない。失敗することがあっても、おばあちゃんは「おいしい、おいしい」といって食べてくれる。孫たちはそれがちょっぴり不満だが、却って、創意と工夫を生み出したりしている。
 だが、孫たちが料理している間に、おばあちゃんはお皿を出したり、片付けものをしたりして、気づかないところで「自然と手が動くおばあちゃんはすごい」と感心している。
 おばあちゃんは子供たちの教育や躾にも一切、口を出さないし、叱りもしない。が、ゴミを見つけたら、さっと掃除してしまうなど、孫たちに身をもって生活習慣を示している。

 子どもたちが学校から帰る。「ただいま」の声に真っ先に「おかえり」と応えるのはおばあちゃんだ。
 石川家では家族が集う場所でのテレビは原則禁止している。だから、孫たちは、見たい番組があれば、おばあちゃんの部屋でみる。「おばあちゃんの好きな時代劇だとちょっと遠慮しちゃうんだけど」と正直に告白しながらも、おばあちゃんのことが大好きなのだ。
 こんな素敵な祖母力と両親の子育て方針。そこには核家族には見られない家庭の温もりがいっぱいだ。多くの家々にそんな家庭が蘇ってくるのは果たして何時の日のことだろう。


 老々介護が日常化した中で迎える『敬老の日』の空しさ。そんなことを思いながら、漢和辞典で『老』の項を引くと、さすがは文字の国・中国である。きちんと老人の分類ができている。

 まず、老人の兆しは、髪の衰えから始まる。頭髪が艾(よもぎ)色になると、艾年(ガイネン)と呼ばれ、50才をいう。60才は(キ、一説に80才)といい、豊富な経験から生まれた渋みのある人生のことである。
 老人を尊ぶ中国の美風は熟語にも表現されている。お年寄りに限らず、名字の下に老をつけて「△△老」と呼べば敬称である。60と50を重ねて「耆艾(キガイ)といえば「徳の高い人」のこと。
 老と至を抱き合せて(テツ)と書くと、文字通り「最高の年齢に至った人」のことで70才。(一説には80才)。

 ところが、さらに長生きした人に奉る(モウ、ボウ)という文字が生まれた。漢字創世期の中国でも長命傾向が表れたためだろう。耄は80才(一説に90才)をいう。耄と耋を合わせて「耄耋(ボウテツ)とくれば、衰え弱った老人で“おいぼれ”となる。
 「耋艾(テツガイ)という組み合わせもある。この場合の艾は、日本の諺にいいう「40、50は洟垂れ小僧」に相当する扱いで“老人と少年”という対比。つまり“老いも若きも”という意味だ。
 こうやって老人に関する漢字を分析してみると、老人が敬われるのは、せいぜい60才から70代止まりのようだ。


 「敬老」などという言葉は、辞書にはあっても日常生活上ではすでに死語だ。健康保険に『後期高齢者』の用語が登場して批判を浴びると、福田康夫首相が「それじゃ“長寿保険”に直しておけ」と言ったとか。敬老の重みなんて、せいぜいこの程度なのだ。

 ここに二つの対照的な言葉がある。
 「年を取るということは、決して安らかな老いを迎えることではなく、一種の残酷物語の主人公になることだ」(杉浦明平『老いの悲しみ』)。
 「自然の計画に従って生きて来た賢人は、老年に幸福と完成の喜びを見出す」(キケロ『老年について』)。
 天下のご老体諸氏よ、あなたの老人力はどちらに向かっているのだろうか。









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