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−庫裡から悶々−トップへ (2008/06/05)
     第26回    横綱の品格
庫裡から悶々
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第35回 語り継ぐ義挙

第34回 良い夢見ようよ

第33回 舌禍読禍宰相禍

第32回 冒頭の終わり

第31回 振り込め詐欺の真犯人

第30回 「老人力」のすすめ

第29回 僧徒たるを悔ゆる日

第28回 偶感「昭和二十年八月十五日」

第27回 仰げば恥ずかし わが師の陰

第26回 横綱の品格

第25回 『黄門さま』いずこ

第24回 戒めの16文字

第23回 百年目の「汚物教師」

第22回 怠慢の「12分」

第21回 物言いの一番

第20回 沖縄戦集団自決の真相究明に妥協は許されない

第19回 落ち葉して木々凛々と

第18回 『広辞苑』と私

第17回 子なき家

第16回 “軽老精神”

第15回 5W1Hプラスα

第14回 教育勅語から酌むべきもの

第13回 失われたニッポン人のDNAは再生出来るか

第12回 助けられたり助けたり

第11回 怯懦な共犯者

第10回 「最良のもの」探す日々

第9回 内角の和の中にをり石鼎忌

第8回 世直し先生は街角にいる

第7回 ある天文学者の遺言

第6回 壊れる家々の悲鳴

第5回 嗚呼!硫黄島−兵士たちの慟哭が聞こえる


第4回 よく聴けよ!柳沢大臣

第3回 無機質な社会の中で


第2回 義挙へのもどかしさ

第1回 ついの棲み家は姥捨山

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 カモン!ルーシー
とかくこの世はははんほほう話


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 檀林風発 
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肇道和尚の「如是我聞」

 戦後間もない頃、国会の議員食堂に美人の仲居さんがいた。戦争未亡人で、亡夫は元首相、近衛文麿邸に出入りする腕のよい大工だったが、結婚して間もなく出征し、戦死したということだった。

 亡夫は大分県の出身で、名横綱の双葉山と幼馴染みであることが自慢の種だった。毎日のように野山で一緒に遊んでいたが、実は就学前、ふざけていて吹き矢を双葉山の右目に当ててしまい、失明に追い込んだ張本人でもあった。

 亡夫は何度も「あいつの目を傷つけてしまったのは俺なんだ」と口にしては、申し訳なさそうな顔をした。が、双葉山からは一度たりとも恨みがましい言を言われなかったという。それどころか、双葉山が16歳で上京する時には、亡夫に「君も東京に出て来いよ。互いに励まし合って偉くなろうじゃないか」と声を掛けていた。その誘いのせいか、亡夫も双葉山の後を追うように東京に出て修業し、立派な大工となった……。

 私が新聞記者になったばかりのころ、仲居さんと知り合い、じかに聞いた話だから、間違いはあるまい。天下無双の横綱は、心優しい人であった。


 その双葉山が著した『相撲求道録』がつい最近、『横綱の品格』(ベースボールマガジン社刊)というタイトルでリバイバル出版された。改めて礼節を重んじた名横綱の威光にすがりたくなるほど、相撲界が混迷を深めているが故の復刻だろう。

 醜態の極みは、夏場所千秋楽の土俵上での前代未聞の出来事、横綱同士の「あわやの格闘劇」である。

 御記憶でない方のために経緯を振り返ってみよう。
 千秋楽の横綱決戦は、すでに琴欧洲が初優勝を決めていたから、ファンの興味は次場所番付でどちらが東の正横綱となるか、の格付け争いだった。
 勝負はあっけなく、朝青龍が引き落としで白鵬を下したが、問題は決着がついた後、朝青龍が加えた駄目押しの一手だ。かがみ込んでいる白鵬を両手で突き、土俵下に転げ落とそうとするかのように見えた。怒った白鵬は右肩を朝青龍にぶつけて立ち上がると、次の瞬間、振り払った朝青龍の右手が白鵬の顔に当たった。そして、両者はしばし睨み合った。場内は騒然とした雰囲気に包まれた。

 大相撲は礼に始まり、礼に終わる。その相撲道を無視したら唯の格闘技だ。相撲協会にファンからの抗議電話が殺到したのは、当然である。

 話をさらにややこしくしたのは、北の湖理事長が「(お返しした)白鵬が悪い」と名指しで批判したせいだろう。場所後に開かれた横綱審議会は「けんか両成敗」とし、理事長の行事を“差し違え”とする判定を下した。理事長もその意向に従って両横綱を呼んで厳重注意したのだが、毎日新聞によれば、「両者を呼んだのは横審の要望」であり、どうやら理事長は渋々従っただけらしい。

 相撲部屋での暴行やリンチ殺人が発覚し、騒ぎになったのは丁度1年前のことだが、この間の北の湖理事長の事なかれ主義的な姿勢と指導力にも問題なしとしない。再発防止検討委員会まで作って反省したはずなのに、夏場所中にまたまた間垣親方や陸奥親方、十両力士らによる育成力士への暴行行為が露見。理事長が下した「厳重注意」の処分を「甘い」とする批判が噴出し、相撲協会があわてて「減棒」の追加処分をせざるを得なかった経緯もある。
 時代の空気が読めないから、いまだに「暴力としつけの線引きは難しいんだ」とのぼやきも出る。改革は名ばかり、実態は旧態依然なのに涼しい顔だ。業を煮やした横審委員から「横綱の品格」が繰り返し、叫ばれたのは当然の成り行きだった。


 双葉山が「相撲道場」を開いたとき、谷町の一人だった安岡正篤は、吉田松陰の「士規七則」にあやかって「力士規七則」を作って双葉山に贈った。安岡は吉田茂ら自民党の歴代首相が師事した東洋思想家で、元号「平成」の命名者としても知られる。
 「力士規七則」には「力士は古来礼節を以って聞ゆ。謹んで斯の道の美徳を失うことなかれ」と記されており、双葉山はこれを率先垂範した。だからこそ、希代の大横綱と称され、各界の知名氏との交わりを深めて敬愛された。

 双葉山は『相撲求道録』で「相撲は専門家だけで楽しむものではなく、観客があってはじめて成り立つものである。相撲は観客から見て面白いものでなくてはならない」と述べている。これこそ朝青龍も白鵬も、琴欧洲にも知っておいて欲しい日本の相撲の原点なのだ。

 『相撲求道録』には「目の弊害が“目に頼らぬ”心を養い“精神の統一”となった」というくだりもある。プラス思考があったればこそ、ハンディキャップを見事に克服できたに違いない。かの仲居さんの亡夫は、この言葉を耳にしていたのだろうか。



双葉山 定次(ふたばやま・さだじ、1912年2月9日〜1968年12月16日)
 大相撲第35代横綱。本名:龝吉定次(あきよし・さだじ)、大分県宇佐郡天津村布津部(現在の宇佐市下庄)出身。立浪部屋に入門し、年2場所の時代の1936年正月場所から1939年正月場所まで不滅の69連勝を記録し、史上最強の横綱といわれた。この間、5場所を連続して全勝優勝を記録するなど本場所での優勝12回、うち全勝優勝8回。「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」とも称された。右目が失明状態だった上に、右手小指が不自由というハンディキャップを克服しての国民的英雄でもあった。現役力士のまま弟子の育成を許され、福岡県太宰府に「双葉山相撲道場」を開いていたが、引退後は年寄時津風を襲名、時津風部屋を興した。






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