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和尚が聞く!
神田紅さん インタビュー
講談師 神田紅さん インタビュー

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神田紅さん
 ――“紅源氏”も大したもんです。すっかり平安朝の雅の世界に引き込まれてしまいました。わずか20数分の講談を聞いただけなのに、54帖もある一大長編を読み通したような気分です。まさに聞く者を別世界に誘引する“紅講談”の真骨頂を見た思いがします。
 そう言っていただけばうれしい限りです。確かに、お客さまを古典や歴史の世界にいざなうのも講談の一つの魅力かもしれませんね。「いづれの御時にか」で始まる「桐壺」の書き出しにしても難解ですし、『源氏物語』は決してとっつきやすい小説ではありません。「源氏を読む」と言えば、「えっ、勉強家ですね」といった反応が返ってくるくらいですしね。それを分かりやすく講談に仕立てて、お客さまに興味を抱かせることができれば何よりです。いずれはフィナーレまで「源氏」を講談にしたいと考えています。

     根も葉もあるウソ

 ――ところで、紅さん。「講釈師見てきたような嘘を言い」と古川柳でからかわれていますが、紅さんも嘘つきですか?
 ハハハ(笑い)。講談は事実を面白おかしく語りますからね。フィクションでいい、という考え方もありますが、私は駄目。根も葉もない嘘は語りたくないんです。事実としてどうなのか、自分が引っ掛かるところはお客さまも引っ掛かるはずですし。もちろん事実を面白く、楽しく伝えるために脚色は大切なんですけれど、事実そのものは変えたくないという思いが昔から強いんです。忠臣蔵の討ち入りにしても、「(吉良邸の)表門に23人、裏手に24人」と赤穂義士の人数を語る以上は、数字をいい加減にしたくないので、きちんと調べてみるようにしています。講談は口伝が基本なので、伝えられてきたものだから事実と違ってもいいんだ、という考え方もあります。師匠から教わったものをそのまま語る講談師もいますし、それぞれに芸風は違ってよいのです。でも、私は教わった途端に、疑問をたくさん感じてしまうタイプなんでしょうね。山陽師匠も研究熱心でしたから、「紅くん、自分で調べて好きなようにやりなさい」と大らかにおっしゃるので、ついつい講談本の記述の“裏”を取ってみるような癖が付きました。

 ――講談の嚆矢(こうし)は、『古事記』を著した稗田阿礼といわれるそうですね。もともと情報伝達の役割を担ってきた面がありますから、講談師は本来、事実を重視すべきなのかもしれません。
紅先生 講談のお客さまは落語ファンとは少し違って、論理的というか、知的な要求度が高いところがあるんです。講談が趣味という学者さんも少なくありませんし、史実と違うことを話すと「実際は違うでしょう?」と指摘してくださる方もいる。多くのお客さまが「僕も知っているよ」といった感じで聞いていらっしゃるんですね。「源氏をやる」と聞くと、わざわざ『源氏物語』を勉強されて来られたりもしますから。悩ましかったのは「難波戦記」や「真田三代記」で知られる天才軍師の真田幸村です。講談では「真田左衛門尉幸村(さなだ・さえもんのじょう・ゆきむら)」と伝えられていますが、本当の位は「尉」ではなくて一つ上の「佐(すけ)」なんです。でも、「さなだ・さえもんのすけ・ゆきむら」と語ると、なにやら空気が抜けてしまうような感じがして調子が出ない。そこで、「尉」と読まれるようになったんでしょうねえ。私も弟子には「左衛門尉」のまま教えました。史実は「佐だけれど」と付け加えましたけど。
古林住職
 ――そう言えば、話の途中で閑話休題の形でストーリーから離れ、バックグラウンドなどを説明するのが紅さんの講談のスタイルになっているような気がします。
 お客さまの怪訝そうな顔を見ていると、補足説明しなければいけないかな、と感じるせいもあるんですが、自分自身が言いたいことをしっかりと語り、お客さまに伝えたいという思いが強いんですね。古典を語り、最後に物語についての自分なりの解釈をちょこんと付けて終わるようなストーリーテラーにはなりたくない。自分なりのイデオロギーというか、オリジナリティーを出したいとも思っています。

     入門秘話

 ――「講談師は自分の天職」とおっしゃっていますが、女優の道を捨てるのに未練はなかったのですか?
 なかったと言えば嘘になりますかねえ。講談師になる前は俳優座出身の新劇女優、市原悦子さんの付き人をしていたんですが、市原さんのたぐいまれな才能に接して、自分の限界を感じていたんです。俳優は役になり切らなければならないのですが、市原さんは瞬時に自分とは違う人間になりきってしまう。テクニックではなくて、心底からポーンと役に入ってしまうんです。天才ですね。私にはとても真似ができないと思いました。当時の私は羞恥心が強かったし、頭でっかちでしたから、余計に壁を感じたのかもしれません。

 ――それで、講談界へと転身を?
 ええ。講談をやって良かったと思うのは、自分の芸のすべてを客観的に見ることができることなんです。オリジナルの話を語る時は、一人で演者と演出家と物書きの三役をこなす。それが講談の醍醐味です。女優をしている時から「和子(本名)は演出家の方が向いているんじゃない?」と言われたりもしていたんですが、台本を書いたり、演出を考えることができる点でも、講談は自分に合っていると思います。
紅さん
 ――初めからそう考えて講談の道を選んだのですか。
 いや、山陽師匠とお目にかかるまで、講談を一度も聞いたことがなかったし、講談について何も知りませんでした。浪曲と混同していて、富士山の絵がついた布を掛けた台を前にして演じるのですか、と尋ねて無知を笑われたり、三味線はどこ、と言って恥をかいたりしたほどです。

 ――では、どうして山陽先生に弟子入りしたのでしょう。
 瓢箪から駒のような経緯があったんです。付き人をしている時に懇意にしていただいた音楽家の先生が、ある時、「東京・原宿のとある店で30分ほどのステージがあるんだけれど、何かやらない?」と言ってくださったんです。私が「本(台本)や演出はどなたが……」と尋ねようとすると、先生は「だから、女優は駄目なんだ」と遮りました。芸人なら喜んで引き受け、30分と言われたら30分、1時間なら1時間、一人で考えていろいろな芸をやって見せるよ、とおっしゃるんです。芸人に学べ、とアドバイスされ、神田山陽なら知っているから「講談をやってみないか」と勧められたんです。それで、音楽家の先生に連れられ、師匠のご自宅を訪ねることになったのがそもそものきっかけとなりました。

城源寺フォーラム“講談教室” ――山陽邸を訪問して電撃的に入門したのですか?
 ええ、「これだっ」と思って。師匠は小娘だった私一人を相手に、一席語ってくれました。「鉢の木」です。城源寺の講談教室でいつも使う「さても源左ェ門、この日のいでたち如何にと見てあれば……」のくだりで有名な物語です。師匠の語り口はとにかくリズミカルで千変万化。ぐいぐい引き込まれまして、「師匠、これは和風ジャズですね」と素直な感想を述べたら、「君は面白いことを言うなあ」と師匠が応じてくれて弟子入りが決まりました。「友だちを連れておいで」とおっしゃるので女優仲間を誘って、神田紫、神田緑と3人で正式に入門したのです。1979年2月のことでした。

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