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ははんほほう話                                (2010/12/08)
第16回 トイレの神様     
ははんほほう話
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第18回 「鬼手仏心」の裏側から

第17回 “村十分社会”への叛旗

第16回 トイレの神様

第15回 大きな忘れ物

第14回 “キになる”言葉

第13回 汝、西方を思念せよ

第12回 自殺と共生――清水由貴子さんの死に思う

第11回 僧侶の一分

第10回 妙子地蔵縁起

第9回 「共生」考

第8回 私のお墓の前で泣いてください

第7回 「足のない教団」といわれて

第6回 おふくろさんよ

第5回 ウルトラマンの慈悲

第4回 ほのぼの交番

第3回 「定形外」を目指す


第2回 再論・悪魔ちゃん騒動

第1回 本能と煩悩

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 カモン!ルーシー
庫裡から悶々
とかくこの世は




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 檀林風発
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肇道和尚の「如是我聞」
 
 上村花菜の歌う『トイレの神様』が話題になったのは、今年の春先からだ。CDの発売前にラジオで流された途端、リクエストや問い合わせが相次ぎ、瞬く間にヒットチャートに乗ったという。音痴の私には縁のない歌の世界の話だが、異様な題名と、その歌詞が気になってDVDを買い求めた。しっとりとした歌声は、近頃の多くの家庭が味わわされている虚しさや寂寥感といったものと重なり合うものがあり、涙を誘う。大晦日の紅白歌合戦にはふさわしい曲だと思う。

 わけあって実家の隣で一緒に住んでいたおばあちゃんと孫娘。時に五目並べに興じたり、二人して鴨南蛮食べて「美味しかったネ」と顔見合わせて笑った。おばあちゃんはいつも孫娘に言っていた。 「トイレにはそれはそれはキレイな女の神様がいて、毎日トイレ掃除をする子は女神様みたいにベッピンさんになれるんやで」
 孫娘はベッピンさんになりたくて毎日毎日トイレ掃除を続けた。そのおばあちゃんと些細なことで気まずくなって孫娘は家を出た。やがて彼氏が出来て家族ともそりが合わなくなって東京に行ってしまった。だが……。
 おばあちゃんが病気だと知って飛んで帰ったのに、おばあちゃんには「もう帰りー」って病室を出されてしまった。その翌朝、おばあちゃんは死んでしまった。おばあちゃんはきっと、私の来るのを待っていたのだ。いい孫じゃなかったのに。まだ恩返しをしていないのに。
 今ではもう、手遅れかもしれないけれど、毎日毎日、ピカピカにトイレを掃除しているよ。ベッピンさんになって、気立てのいいお嫁さんになるよ。おばあちゃん、おばあちゃん、ありがとう。ホンマに、ありがとう。

 孫娘は心をこめて感謝の言葉を繰り返した。そして、歌うだろう、今年の紅白歌合戦で。

 ある小学校のPTAの会合で一人の母親が鋭い口調で学校に抗議した。「子供たちにおトイレの掃除当番をさせるなんて、とんでもない」。といって、親が代わってやりましょう、というわけではない。清掃会社に依頼すればいいということだろうが、嫌だから、汚いからと人に押し付けて済ましているようでは、子どもが真っ直ぐに育つとは考え難い。うがちすぎかもしれないが、『トイレの神様』のヒットの背景には、身勝手な快楽主義がはびこる世相への人々の怯(おび)えや自省の念が作用しているのではないか。

 『虚空蔵経』というお経に、「モシ懺罪(ざんざい=罪を悔いる)ノ人アリテ厠(かわや)ヲ治スル(掃除する)コト百日スレバヨク罪咎(とが)ヲ滅ス」とある。他人の嫌がることを進んでやることの尊さを教えている。『トイレの神様』は、み仏の教えを上手に喧伝してくれたようなものだ。本来、仏教界推奨で世に出すべき歌だったかもしれない。
 宗教の役割を問い直す時、説法がへたくそで、人の心をつかむのも苦手な我らが業界の取り組みがもどかしくてならない。愚僧たちが社会のベッピンさんになるための道のりは遠く険しい。







和尚が聞く!‐NYOZEGAMON INTERVIEW‐

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