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ははんほほう話                                (2008/04/25)
第11回 僧侶の一分     
ははんほほう話
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第11回 僧侶の一分

第10回 妙子地蔵縁起

第9回 「共生」考

第8回 私のお墓の前で泣いてください

第7回 「足のない教団」といわれて

第6回 おふくろさんよ

第5回 ウルトラマンの慈悲

第4回 ほのぼの交番

第3回 「定形外」を目指す


第2回 再論・悪魔ちゃん騒動

第1回 本能と煩悩

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 カモン!ルーシー
庫裡から悶々
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 檀林風発
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肇道和尚の「如是我聞」
 
 城源寺と同じ浄土宗の大本山の一つ、大本願を擁しているから言うのではないが、北京五輪の聖火リレー日本走路のスタートが長野・善光寺だと聞いて、「坊さんの出番到来」と心が浮き立った。

 10年前の長野冬季五輪の開会式では、善光寺の梵鐘が平和の願いを込めて全世界に向けて響き渡った経緯もある。もともと人類の平和を掲げるオリンピック憲章と、平和と非暴力を希求する仏教は通底するところがあるから、いま一度、世界に向けて日本のお寺がアピールできるチャンスと思ったのである。

 ましてや北京五輪の聖火は、中国による仏教の聖地、チベットへの人権侵害に対する批判から、世界の行く先々で妨害に遇っている。中国とチベットの対立の溝は深く、今回の騒動の真相にも判然としないところがあるので踏み込んだ論評は控えるが、いずれにせよ、五輪の精神を飛び越えた事態であることは間違いない。チベット現地で多数の坊さんまでが巻き添えに遇っていることを思えば、愚僧としては、聖火リレーのスタート地点が善光寺となったことを単なる偶然としては片付けられない。平和的な紛争の収拾と、本来の五輪精神に則った北京五輪の開催を目指せ、との神意と読まずにはいられなかったのである。


 それだけに、善光寺が「出発点返上」を決めたことが残念でならない。もちろん苦渋の決断であったことは分かる。善光寺としては山内の国宝の保護や参詣者の安全などを優先するのが常識的であろうし、境内を出発式に利用させるな、といった抗議電話が殺到したことや警察当局などからの要請なども考慮されたのだろう。同じ仏教僧がチベットで弾圧されていると聞けば、受け入れに消極的にならざるを得なかった心境も理解できる。

 この決断を石原慎太郎・東京都知事のように「立派な姿勢」と評価する向きもあるが、せっかく善光寺の門前町として開けた長野市で行われるのに、肝心の善光寺を通らない聖火リレーでは盛り上がりに欠ける。それ以上に、ことはオリンピックである。平和と平等を愛する日本の仏教徒聖地の善光寺としては、いったん引き受けた以上、海外でどのような混乱が生じていようとも、聖火を受け入れるしか選択枝がなかったように思えてならない。


 <妨害と排除。力尽くの意地の張り合いは止めなさい。五輪休戦だってあるじゃないか>
 そうした提言を世界にアピールすることが、善光寺と門前町たる長野市に託されていたのではないか。


 地元が苦渋の決断を下した以上、野次馬の出る幕ではない、と承知しながらも敢えて口説かせて戴くならば、善光寺さんには「三門を出るまでは、聖火は僧侶が守る」との気概を示して欲しかった。

 見方が甘いとのそしりを受けるかもしれないが、一切の暴力を排するとの寺としての立場を内外に鮮明にした上で、受け入れまでの経緯や市民感情などを説明し、世界平和のために決行すると強調すれば、妨害沙汰は回避できたように思えてならない。低次元の落書きもされずに済んだだろう。長野市仏教会らもスクラムを組み、門前町の誇りと仏教徒の心意気を示せば、日本中が拍手をもって歓迎し、妨害を企てる勢力も少なくとも善光寺の境内ではうかつに手を出せなかったのではないか。善光寺の僧侶たちが見守る中、粛々と聖火が運ばれれば、日中両国の親善、騒動に殉じたチベット僧侶の慰霊にもなり得たはずだ。


 少々話がそれるかもしれないが、仏教には五輪のマークのように5色で彩られた世界共通の「仏旗」がある。釈尊が入涅槃の時に放たれた光を示しているとされ、正確には青、黄、赤、白、ハリメノウの5色にすべての色を混合した輝きの色を加えた6色から成る。

 国内では寺の幔幕などに使われているものの、仏旗自体はさほど普及していないが、チベットに隣接し、やはり紛争が続いてきたネパールなどでは、仏教徒の家々の屋根高く掲げられている。自分たちは平和を愛し、非暴力を貫く仏教徒としての意思を示すもの、と多数派のヒンドゥー教徒らにも理解されているという。


 日本の仏教は今ひとつ情報発信力に乏しく、人類の平和にも貢献できていない面があるが、仏教、とりわけ浄土宗の平和主義、非暴力思想はつとに知られるところだ。宗祖法然上人には幼少時、夜討ちを受けて斃れた父親から息を引き取る際、「決して敵討ちはするな」と遺言されたことを機に仏門に入ったとのエピソードもある。

 それならば、み教えを引き継ぐ者として、もっと人類の平和や幸福に積極的に貢献すべきではないか。そう思うにつけ、好機を逸してしまった善光寺さんの決断が、悔やまれてならない。流行の言葉で言えば、「僧侶の一分」が立たなかったのである。




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