−テラリスト宣言−ホームへ
ニュース&トピックス城源寺へようこそテラリストとは?城源寺に集え!紅さんの講談教室!リンク(準備中です)
読者投稿住職によるコラムなど檀家さん専用(準備中です)
Home

ははんほほう話                                (2007/10/12)
第9回 「共 生」考       
ははんほほう話
Top
第11回 僧侶の一分

第10回 妙子地蔵縁起

第9回 「共生」考

第8回 私のお墓の前で泣いてください

第7回 「足のない教団」といわれて

第6回 おふくろさんよ

第5回 ウルトラマンの慈悲

第4回 ほのぼの交番

第3回 「定形外」を目指す


第2回 再論・悪魔ちゃん騒動

第1回 本能と煩悩

バックナンバー一覧




 カモン!ルーシー
庫裡から悶々
とかくこの世は




感想等はこちらからお送りください
   メールフォーム

 檀林風発
↑読者投稿欄



肇道和尚の「如是我聞」
 
 今年の夏の暑さは格別だった。列島を襲った台風も多く、スコールのような局地型の激しい雨が降った。春を飛び越えて夏が来て、彼岸を過ぎても真夏の陽光が照りつけた。いつの間にやら、日本列島の気象は亜熱帯型に変わってしまったようだ。
 自然が狂えば地球が壊れ、南極と北極の氷が融け出した。関係あるかないのか、地震のマグマまでが目を覚ましたらしい。まさに地球の危機! そこで、人々がようやく目覚め、気づいた末に「共生という考え方があったじゃないか」。自然との共生こそ、全人類が生き残るための最後の手段と、遅ればせながら悟ったと思われる。

 「共生(きょうせい)」という言葉は、古いようで新しい。戦前の辞書の多くには記述がないほどで、あっても「共棲、共生」と併記されている。戦後に出版された広辞苑で初めて認知され、「@ともに所を同じくして生活すること、A別種の生物が一緒に棲息し、互いに利益を得て共同生活を営む現象」とある。ヤドカリに寄生したイソギンチャクは、その触覚でヤドカリの敵を追い払ってやる代わりに、ヤドカリの行動に便乗してエサを漁る。そうした関係が共生だ、と書いてある。


 広辞苑の登場よりもずっと前、人々が「共生」という言葉を知らなかった大正から昭和のはじめにかけて、いち早く「共生」の大切さを説き、「共生運動」を展開した宗教学者がいたことをご存知だろうか。浄土宗が誇る現代仏教の指導者で、“昭和の鑑真”とも称された椎尾弁匡先生、その人である。

 椎尾先生は、人間を @自然界の一存在としての人間 A生物としての人間 B動物としての人間 C社会、文化、価値観を持つ人間――と四つのタイプに分類し、それぞれが勝手に共生すれば必ず「争生(生きるための争い)」といった現象が現れる。だから、四つの立場に属する人間をあるがままに任せておいては、やがて滅びてしまう。人間だけが滅びるならば自業自得だが、他の動植物も巻き添えになって滅びてしまう。そうならないように努めるのが人間の責任である……と説き、それに対する仏教の共生観を展開された。

 「一人の全宇宙に拡がるがごとく、何人も一切衆生によって共生する。故に縁起は共生たり、仏国たり、無限の生命たり、無量寿たり、阿弥陀たり、現在の一呼吸一挙手にして、また全宇宙たり、永遠の創造たり。共生とは仏教の縁起をいう言葉であり、世界と自己が一つになって生きていくこと」

 先生の教えだが、注意すべきは、先生は共生を「きょうせい」ではなく「ともいき」と読ませていたことだ。その教えに倣って、現在、浄土宗が檀信徒教化指針として掲げている『21世紀劈頭宣言』の四カ条の一つ、「世界に共生を」にも「ともいき」のルビが振られている。

 先生は予言家でもあり、その予言の的確さでも知られているから、地球の温暖化や自然環境の破壊という今日的な問題を80年以上も前から予測していたに違いない。卓越した先見の明と言うべきである。
 先生には逸話も多い。幼少の頃から浄土三部経に親しみ、東京帝国大学文学部を恩賜の銀時計組で卒業した秀才だったが、小学校では教師が南無阿弥陀仏を「南にない阿弥陀仏」と読んだことに腹を立て、退学してしまったという。立っていても座っていても熟睡できる、特殊な技能を身につけていた……といったエピソードは数え切れない。


 世界的な建築家の黒川紀章氏が、先生の教えを受けていたというのも、意外な事実だ。最近、黒川氏が先生の共生論を解説しているホームページで知ったのだが、黒川氏が学んだ中学校、名古屋の東海学園で理事長を務めていたのが先生だった。週に1回、先生の講話を聞く機会があり、ある日、「仏教徒は殺生するな」というので、黒川さんは勇気を出して尋ねた。

 ――では、坊さんは何を食べて生きていますか?
 「人間は生きていくのに最小限必要な分だけ生きているものを殺してよろしい。ただし条件がある。食ったら食わせろ」
 「人間は死んでこそ役に立つ。灰になって植物の餌になる。その植物はすくすく育っておいしい野菜になる。それを今度は動物が食べて生きていく。だから、人間は死ぬときに一番意味がある」

 このやりとりから、黒田氏は椎尾先生の教えを「生と死の共生」と捉えたという。
 黒川氏が先の統一地方選挙で東京都知事に立候補し、共生新党を立ち上げた際、正直言って違和感を覚えた。だが、中学でのエピソードを知り、党名の由来がうかがえただけでなく、黒田氏に心が親しくなったような気がする。


 共生は今や流行語となった。政治家たちは「自立と共生」を多用する。本来、対立する関係にある概念だが、弁証法的経過をたどれば、一つになり得るものだろう。確か1998年に民主党が結成された時、公約に「自立と共生」と掲げたのが走りだったと思うが、福田新政権の公約にも使われたから驚いた。
 お株を奪われた格好の民主党の鳩山由紀夫幹事長が、鳩が豆鉄砲を食らったように目をパチクリさせて「わが党の考え方が、ついに自民党からも出てくるようになった」と語ったのが印象的だったが、民主、自民のどちらが先でも構いはしない。「自立と共生」が達成された時、その先に待ち受けるものは「希望と安心」にほかならない。それこそ政治が目指すべきところであり、宗教の奥義でもある。
 訓読みにしろ、音読みにしろ、「共生」が時代のキーワードであることは間違いない。



椎尾 弁匡(しいお・べんきょう、1876〜1971)
 東京芝増上寺第82世法主、大正大学学長を務めた宗教学者。順蓮社性誉随阿法海、節堂と号した。
 愛知県の真宗高田派円福寺に生まれ、1895年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。以後浄土宗大学(現大正大学)、早稲田大学、日本大学で教鞭をとった。戦前には、国会議員を2期務めている。浄土宗教学部長、大正大学教授、学部長、学長を歴任。1945年、増上寺法主に就任。この間、仏教を現実生活に活かす共生(ともいき)運動を起こし、晩年は失明したが活動を続け、「昭和の鑑真」と異名された。

 ※本稿を執筆するに際し、峰島旭雄氏の論文「人間共生の諸想 仏教に約して」(文教女子大学研究紀要第2巻第1号所載)に大いに啓発され、参考にさせて頂いた。心から感謝します。




 拙稿をアップして間もない10月12日夕、黒川紀章氏の訃報が飛び込んできました。参院選の最中から体調を崩されていたそうです。
 享年73歳。
 心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。
                          肇道





Copyright © 2007 JOUGENJI All Rights Reserved.
−テラリスト宣言−小田原 城源寺のホームページです。