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ははんほほう話 (2007/02/05)
第5回 ウルトラマンの慈悲   
ははんほほう話
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第11回 僧侶の一分

第10回 妙子地蔵縁起

第9回 「共生」考

第8回 私のお墓の前で泣いてください

第7回 「足のない教団」といわれて

第6回 おふくろさんよ

第5回 ウルトラマンの慈悲

第4回 ほのぼの交番

第3回 「定形外」を目指す


第2回 再論・悪魔ちゃん騒動

第1回 本能と煩悩

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 カモン!ルーシー
庫裡から悶々
とかくこの世は


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 檀林風発




肇道和尚の「如是我聞」
 
 「グライダーに乗るということは、目に見えない風を求め、その風を信ずること。人は目に見えないものを恐れ、目に見えないものに憧れる」
 一昔前、テレビドラマの冒頭の語りとして聞いた一節が妙に耳の奥に残っている。

   ◇人と弗

 坊やは両手を広げ、空に向かって叫ぶ。「ウルトラマンー」

 坊やの声を聞いたウルトラマンは、虚空をかけてやってくる。ウルトラマンはすでに坊やの願いを知っている。雑念いっぱいの大人たちにその鉄人の姿は見えないが、坊やは目を輝かせてそれを迎え安堵する。坊やはウルトラマンの存在を信じて疑わない。

 坊やは、なぜウルトラマンに頼るのか。「正義の味方、ボクの理解者」と答えは明快である。
 どんなにやんちゃな悪餓鬼であろうとも、ウルトラマンは頼まれればノーとは言わない。彼は坊や一人の独説物ではないが、互いに深い友情の絆に結ばれていると坊やは確信している。

 ウルトラマンは坊やたちの期待を担い、正義のため闘う。その知恵と行動力が坊やたちにはたまらない魅力である。「ウルトラマンー」と呼ぶ坊やの心は、すでにウルトラマンと一体になっている。
 ウルトラマンの正義とは何か。坊やたち=人々を苦から解放することである。

 《慈悲》の語意は、仏が衆生に楽を与えることを「慈」、苦を除くことが「悲」である。とすれば、ウルトラマンは慈悲の化身に他ならない。ウルトラマンが慈悲心の塊であるならば、大慈悲心の表れである佛(仏)そのものである。
 佛という字は「人+弗」の形声文字。弗は不(あらず)と同じ意味だから、佛は人にして人にあらざるもので、肯定と否定の二面を兼ね備えた存在だ。

 私は朝の勤行(おつとめ)では、経本を開いてゆっくりと読経する。経文の一字一句を追い、時には目で送り仮名を振り、胸の内で意訳する。
 人生の大半を二束の草鞋で過ごした身であるが、坊主と名乗っている以上、没後に訪れる浄土がまったくの不案内では申し訳が立たないからだ。
 誦経のようにすらすらとは唱えられないが、繰り返しているうちに仏の心がうっすらと判ってくるような気がする。


   ◇見えぬ力に生かされる

 その後、法然上人の『一紙小消息』を、自分に言い聞かせるように読む。
 これは法然上人が弟子の「黒谷の上人」に宛てた一枚の短い手紙である。
 内容は《極楽浄土に往生したかったら、迷わず阿弥陀仏の本願を信じて念仏を唱えなさい》と繰り返し説いている。

 本願とは、『無量壽経』にこう書かれている。
 修行時代の阿弥陀仏が、仏となるための必須条件として自ら四十八の誓いを立てた。その十八番目に、
 《阿弥陀仏の名を唱え、すがるものは、それがどんなに悪人であっても極楽浄土に往生させる。そうした神通力を備えられなかったら仏にはならない》
 とある。これが本願であり、いま、私たちがナムアミダブツと唱える根拠である。だが、法然上人の時代ならいざ知らず、現代人で浄土とか、往生をそのまま信じるものはまずいない。半面、邪悪にまみれた現実社会から逃げ出したい、そんな理想の国があったらば、と憧れている人々がいるのも事実である。

 人々が肯定と否定の谷間に苦しみながらも理想を追うのはなぜだろう。仏が描いた真善美の夢の幻想があるからだ。
 幻想という表現はいかにも頼りげないが、自分以上の大きな力によって生かされていると悟ったとき、生き甲斐を感じ取る。


   ◇仏と人の信頼関係

 ただひたすらに念仏の功徳を信じなさい、と説く『一紙小消息』にこんな一節がある。
 《罪は十悪五逆の者も(浄土に)生まると信じて、少罪をも犯さじと思うべし、罪人なお生まる況や善人をや》
 大罪を犯したものでも没後は浄土に行けると信じなさい。悪人でも行ける浄土に善人が行けないはずがない、というのだ。

 私は社会部記者だったから、いろんな人に出会った。刑余者はとかく「おれは前科者だ」とすねたがる。だが、親身になってかばってくれるものがあると、信頼に応えようと人一倍頑張る。“己を知るもののために死す”の心境である。

 法然上人のいう「罪人なお生まる況や善人をや」は、こうした仏と人との信頼関係が取り持つ機微に触れ、信じて念ずれば花開くことを教えているのだ。
 こう思ったとき、口を突いた言葉が「仏も鬼もわが心に宿る」であった。正も邪も、悪も善も、同じ土壌に育つものなのだ。


 坊やはウルトラマンと叫び、爺々、婆々はナムアミダブツと念仏を唱える。そこには理屈を越えた純粋な信頼関係がある。
 無限に広がる大空に流れる一筋の風の存在を信ずるグライダー乗りと同じように。


                     (初出は『花岳山報』1993年9月20日号)


和尚が聞く!‐NYOZEGAMON INTERVIEW‐

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